2012年3月10日土曜日

私の還暦過去帳(191)

北海道には以下のような路線が今も存在します。50年前はこれにま
だ支線の細かな線路と国鉄バスが有りました。

釧網本線 江差線 根室本線 札沼線 室蘭本線 宗谷本線 石勝線
石北本線 千歳線 津軽海峡線 日高本線 函館本線 富良野線 留萌本線

昔無かった路線は『津軽海峡線』でした。

私が大学生の時でしたが、東京で映画監督の家で書生をして働きなが
ら学校に通学していた頃でした。夏休みの半分は当時の『蟹族』と言
うスタイルで背中にリユックを背負って歩いていました。

当時は国鉄と言っていました。学生は学割と言う特典が有りまして、
100km以上は学割が効きまして遠距離になればなるほど安くなっ
た感じでした。

夏休みに考えて思い付いたのは、片道でどこまで同じ所を交差しな
いで最高の遠距離切符を買えるか研究しました。時刻表を抱えて毎日
真剣に計算して、片道切符の最高距離を出すか研究していました。

最後は北海道の 函館本線 から室蘭本線に入った一つ目の駅で切符を
買えば、本州の日本海側を通過してジグザグに九州に下りて行き、
九州を一番下の鹿児島駅に降りて、ぐるりと廻って別府から豊肥線で
南熊本まで買うと最高の距離が出ると計算しました。

それからが大変でした。全部路線を書き出して計算して、用紙に書き
出してどこまで行けるか試す事にしました。もって行くのは寝袋と炊
事道具、当座の食料、着替え、正露丸、洗面道具、ポンチョウ
(一人寝テント兼用)それだけでした。

室蘭本線に入り、始めてての駅で降りました。駅は三名ぐらいの小さ
な駅です私が駅で降りた、ただ一人の客でしたが、駅員さんに事の次
第を説明して、びっしり書き込んだ用紙を見せると、
一瞬『うーんー!』と声を出して『絶句』していました。

それからが大変でした。先ず三名の駅員さんが集まり話をすると、
一番発券に慣れた人が窓口に来て座り、まずー!発券台帳を抱えてき
ました。本州・九州などの国鉄路線の計算台帳です、先ず『はたき』
でパンパンと埃を払いまして、机に載せ私が差し出した用紙を見なが
ら路線計算を始めました。

直ぐに私の所に来て、『2時間ぐらいは掛かるから海岸の方でも散歩
して来たらー!』と親切なお言葉でした。それには私も絶句して、
口をアングリとしました。実際は2時間半も掛りました。1枚の切符
ですョ!と言うのも汽車がくれば、『チョイトー!』と声を出して
ホームに飛び出て行きます。

ソロバン片手に見ていても大変な事が分ります、私も海岸方向に歩い
て散歩に出ましたが、のどかな波打ち際で寝ていました。それも夜行
で来て余り寝てはいなかったのです。しばらく寝て『ひょいとー!』
気が付いて起きたら、2時間近く過ぎていました。慌てて駅に行った
らまだでした。

それから30分ぐらいしてやっと切符が出来上がりました。切符の裏は
びっしりと経由地をペンで書き込んで有りまして、それは、それは凄
い切符でした。うやうやしく差し出してくれ、駅員全員が見ていまし
た。そして『頑張ってー!』

と声を掛けてくれました。たった1枚の切符です、それで数え切れな
い経由地まで書くのですから、それこそ大変だったと思います。
駅員さんが『私の駅員生活で初めてで、最後の発券だねー!』とつぶ
やいていました。

普通列車が止まり、全員の駅員さんが手を振って見送ってくれました。
改札のパンチを入れる隙も無いような切符でしたが、小さくパチンと
隅を切りニッコリと笑ってくれたのは今でも覚えています。
次回に続く、

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