2012年3月14日水曜日

私の還暦過去帳(195)


旅に出て、人の情が心染みる時が有ります。
『青春の我が旅日記』50年も前の学生時代の話です。

空腹で歩き疲れ『もうだめだー!』と思って非常用に持っていたカタ
パンを出してかじっていました時に、廻りの景色と言うのはオホーツ
ク海からの海風で、どんよりとした、重たい霧が流れ、寒い風が吹い
ていました。

夏と言うのに、道端の草はびっしりと濡れていて腰を下ろす事も出来
ませんでした。やっと見つけた小さな橋の欄干に座ってお昼と言うの
に太陽も顔を出すことのない、静かな田舎道で、お腹が減ってカタパ
ンをカジリ、水筒の水を飲んで居た所に、やっとオート三輪車が通り
かかり、慌てて乗車を頼みましたが、停車する事無く100mぐらい
行って、やっと車が停車してくれました。

見ると手招きをしているでは有りませんか!走ってたどり着くと
『どこまで行く?』と聞きますので『どこまででも、乗せてくれる所
まで・・』と言うと『これから30分ぐらいして山に入るから、そこ
までは乗せてあげる』と言うことで、オート三輪に乗せてもらいまた。

なぜかと言うと、人が歩かない北海道の田舎道で平行して並んでいる
電柱の上に、カラスが1羽、また次ぎの電柱に1羽とまるで私が行き
倒れとなるのを待っているかの様でした。

下を通ると『ぎや-!』といやな声で一声鳴きます、次ぎも同じ様
で『クソ-!』と頭に来ていました。見ると獰猛そうな感じで、子犬
などは襲って殺して食べると言う事で、滅多に人が歩かない場所
で、人間が歩いているのですから、カラスにしたら、ご馳走が歩いて

いると感じたのかもしれません、背中にリックを背負いポッンと一人
で歩くのはやはり寂しいものです。オート三輪の荷台の上で寒風に
吹かれながら乗車していましたが、カラスは追っては来ませんでした。
車が山に入るところで止まり、『ここから歩いても夕方までは町には

着かないから、この先の作業小屋に泊まりな!』と勧めてくれました。
有り難く申し出を受けて、泊まらせてもらいました。
作業小屋には、かなり年配の人が一人で管理人として住んでいました。

挨拶して『今夜一晩泊まらせて下さい…』と言うと、『今夜はここに
泊って明日の朝に大型トラックで材木を町に出すから、それに乗せ
てもらいなさい』と親切に教えてくれ、夏でもストーブを炊飯もする
からと言って焚いていました。

その夜、静かな小屋の中で、自分の飯盒で炊いたご飯と管理人がご馳
走してくれた、三平汁のドンブリを『ふー、ふー!』と冷やしながら
舌が火傷しない様に食べていました。食後に昔、北海道の飯場での
生活や、たこ部屋の有様の昔話しを聞きました。

年老いた管理人がその夜、ラジオで聞いていた『浪花節』を聞きな
がら寝袋で寝てしまいました。翌日お礼を言って別れ、トラックに同
乗させてもらい、町に出てしばらくしてから、なにげない暖かい気く
ばりの老人の親切が『ジワッー』と私の心に染みていました。

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