2012年3月22日木曜日

私の還暦過去帳(202)

青春の我が旅日記

北海道の旅をしていて、50年も前は自然が沢山残っていました。
今ではどこでも自動車道路が有りまして、歩いて行く事も有りません
ので時間的にまた、費用も旅の便利さがプラスしてかなり節約出来る
と思います。

北海道の最北端の礼文島を訪ねた時でした。私が訪ねた時は霧も無く
て、快晴に恵まれて景色も良くて、島を縦断する道路を昔の小型の
ボンネット型バスに乗りまして島内を歩きました。それから、

礼文島の最北端、須古頓(スコトン)岬まで行き、その岬から、前方
に見えていた、海馬(トド)島と呼ばれる無人島まで行きました。
そこが事実上の日本最北端と言われた所でした。

小型の丸木船と感じるウニ採取の小船でしたが波に翻弄されてトド島
まで行くのは少しドキドキの感じでした。
香深からバスで船泊りに来て、スコトン岬に行き、トド島まで渡り、
その夜は、船泊りの小学校の用務員部屋に泊まらせて貰いました。

当時は人口も少なく、侘しい漁村でしたが、現在の様に民宿も無くて
一晩泊まる所を提供してくれた校長先生に感謝していました。翌日に
船泊りの港に行くと、稚内行きの連絡船が無くて貨物船に交渉して乗船
さして貰いました。その時が船をハイクした初めての船旅でした。

最初は船長が用心して『学生らしき者は危なくて乗せられない』と話
していました。それは当時ロシアに逃亡する人物が居たからでした。
私もあきらめて桟橋から小型貨物船が動き出すのを見ていましたが、船
長は動きだした船から『学生証を持っているか・・』と聞きましたので、

すばやく見せると、『よか・・飛び乗りなー!』と言ってくれましたの
で、背中のリユックを船に投げ込み、飛び乗りました。おかげでどれだけ
の時間と、お金が節約出来たか、それに船員の食事も食べさしてくれまし
たが、どんぶり飯と味噌汁に沢庵でしたが、私には充分な食べ物でした。

稚内港に到着して、船長が色々と町の歩き方の案内をしてくれ助かりま
した。其の夜は昔の戦前、樺太行き波止場の待合所の廃墟に寝ていました。
驚くなかれ、真夜中に顔の周りでネズミらしきものが動いているのを感じ

て、昔の本で読んだ事を直ぐに思い出しました。『食べ物の匂いがする口
を噛まれる事があるから注意するように』と読んだ覚えが有ります。
びっくりして飛び起きて朝まで寝ることは出来ませんでした。

其の朝早くに船長の声で、『オーイ!学生どこに寝ている・・』と探しに
来てくれ返事をすると『朝食が出来たから食べに来い・・』と誘ってくれ
ました。有り難い事で今でもその湯気が立つていた、朝食の味噌汁の味を
思い出します。
色々な所を歩いて、沢山の親切に触れて旅の情けを学びました。
次回に続く、

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