2012年3月27日火曜日

私の還暦過去帳(208)


現在の人間、様々な生き方は年齢とそれから来る、教育の原点に
有ると思います。生きると言う原点の狭間に心揺れ動き、焦点が
定まらず、見えず、苦悩して混迷の心の迷いの中で、無意味な時
を捨てている方を見ます。

しかし、それがまったくの失敗の歴史となったかと思うと、そう
ではなくその無意味な時間的空間が心の悟りとして身体に刻み、
覚えて、未来を見た時に無意味さが現実の生活の中で、自分を探し
出す原点としてのエネルギーと転化して、未来へのより大きな飛躍
の力を作り出した人を知っています。

人それぞれに生き方は違えども、生まれてきて誰れでもが、どんな人
でも、どんな高貴な人でも、貧富の差も、学歴の差も、どこに住ん
でも、この世に生を抱いて生まれてきた全ての人々が、行き着く先は、
生命の終点、寿命の尽きる所の『死』という、人生、時の終わりの
区切りです。そこに行き着くまでが短い人、長い時をもてあそんで、

探せなかった人生に絶望して命を絶つ人、淡々と己の生き方を歩み
満足して、この世に生を受けた幸せをかみ締めて、人生を憂いのない
道行きで終わる人、悩み苦悩して、神経と精神のちぐはぎな溝に引
き込まれ、そこで身体は健全で有っても、社会的には息絶えている人、

それぞれの人生が、生き方が、それらが悟りの無い、心の余裕も無い
人生での生き様で、神仏に頼る人も居ます。

『それが全てを合わせて世の中と言う・・』と聞いたことが有ります。

これからの日本と言う国の中で、百年のこれから先を見た時に、我々が
悟らなければならない事とは何か?命題として定義された感じがします。

仏が『人生は朝に生まれて、夕に白骨となる』短い人生と諭されたが、
この宇宙の22億の時からしたら、人間などは大星座のくず星のかけら
の存在と思います。宇宙の闇に一瞬の瞬きに光って消える人生かも
知れないが、それも楽しからずや・・、なむあみだぶつ!

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