2012年4月1日日曜日

私の還暦過去帳(212)


旅に出ると言うことは自分の人生を旅の途中で考え、思い、
悟り、反省してこれからの人生の将来を見つめる事になる
チャンスを掴む事になる時が有ります。

私が家庭を持っても、家族で良く旅に出かけて行きました。
カリフォルニアからカナダまでドライブした事も有ります。
一日で、1500kmも運転してアリゾナ州までバンの車
で家族で交代で運転して行きました。

南米時代の旅はまだ独身時代で、多くが一人旅で歩いて
居ましたが、当時の南米の田舎町では、よくぞこなん所と
思う所に住み着いて居る人が居ました。
人はそれぞれの運命の道を歩むと言われますが、私もそう
感じます、アルゼンチン北部の日系人という社会も無い様

な場所で、どこにも日本食というその材料も購入する店も
無い様な町で、ポツーンと住んでいる日本人が居ましたが、
何か人生の悟りを得て、隠遁者のごとく祖国日本から縁を
切り、アルゼンチンの土に成る覚悟の人でしたが、驚く言葉

使いが、だいぶ忘れかかった日本語でしたがはっきりとした
標準語で、日本の戦後復興からの立ち直りの様を喜び、また
時代の変化の流れで、自分が現在日本からの情報で知った
1960年当時の日本と、戦前の自分が住んだ田舎の農村の

姿を思い比較して、当時の短波NHK国際放送を聞く情報と、
雑誌や本で知る日本の現状を比較しての話でしたが、今で
思えば一世の心意気と心情の結晶を感じました。
同じアルゼンチン北部のサルタ州オランの町、郊外で会った
女性でしたが、ミスXXXと日本で言われた美人コンテストで
優勝した方と言われていました。良くこなん場所に住み、生活

して、人わびしい里に結婚して呼び寄せられて来たかと言う事
を感じました。まさにその時ほど人様々、人生の人それぞれの
道の奇遇さを感じた事は有りません、小高い丘の上に建つ家の
応接間からは一望に広がる柑橘類の農園が見え、青い空が

輝き、南米の広大な台地の広がりが感じられる所でしたが、耳
に響く音は風の音だけでした。今でも忘れる事は出来ませんが
オレンジの緑濃いく茂る葉の波が、見渡す限り広がる風景を見
ていた横顔の何か寂しげな感じが、私の心に残っています。

その女性には当時、子供は居なかった様でしたが人生の生き方
には何が幸せかは、その人の心に有ると今では思います。

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