2012年4月17日火曜日

私の還暦過去帳(226)

46年も前になります・・、
パラグワイを出て、アルゼンチンのブエノス・アイレスの町に来た
時でした。街中にかなりの馬車が走っていたので、少々驚きました
が、その当時の東京は丁度、東京オリンピックで賑やかで、成長が
激しくて、どこでも工事中の有様でした。

しかし、どこにも馬車などは残っては居なかったのでしたが、
ブエノスの市街で一番先に目が行ったのは、ごみ収集の馬車でした。
道は石畳の昔の道を、かなり大型の馬車を2頭の馬が引いていまして、
ごみ収集人の掛け声で、馬車が動いていますので関心して見ていま
した。

ごみ収集人が『バモー!』と声を出すと、『パカパカ』と歩き、口笛
を『ピー!』と短く鳴らすと、ストン!と止まって動かず待っていま
した。
その間にごみ収集人が、ごみを馬車の中に投げ込んでいました。
完全自動の操作です、上手く考えて調教したと関心して見ていました。
八百屋の前で野菜くずを、大きなカゴで出してくると、慣れたもので、

馬の食料と捨てる物に分類してあり、食べる餌の所は馬車の下のカゴ
に入れていました。誰が考えたか知りませんが、排気ガス無し、運転
手無し、完全自動運転の馬車でした。
しかし、一度馬が道の真ん中で、『ぶりぶり』と大きなウンチを出し
て居たのには笑ってしまいました。

同じく牛乳配達馬車も有る事に気が付きました。それは1頭だての
小型の馬車でしたが、綺麗な看板を書いた保冷のコンテナーが有り
配達人が同じく声を掛けると、馬が一頭でパカパカと歩いていました。
ブエノスの当時の牛乳の瓶はガラスで1リットル入りでした。それを
配達しているようでしたが慣れたもので、カゴに6本ぐらい配達人

が瓶を持って家々の戸口を廻っているようでした。永年、馬と人間の
コンビで仕事をしている様で、慣れて意気がぴったりでした。
馬が配達人を見ながら、道を一頭でゆっくりと歩く様は、のどかな感じ
でした。それと同じくパン屋の配達も馬車を使用しているのを見ました。
どこと無く、昔のヨーロッパの習慣を持ちこんだと感じます。

5年前にアルゼンチンを訪問して、ブエノス市街で一台の馬車とも遇う
事は無く、また郊外の田舎でも見ることは有りませんでした。訪ねた
田舎で聞いたら、『あんな馬車は田舎でも禁止だよ・・、誰も乗らな
いし、危険で、とても乗っては居られないと、』近所では昔に、事故
でトラックと衝突して馬も人間も死亡したと言っていました。

田舎でも車が増えすぎて、とてもそんな悠長な事は出来無い様でした。

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