2012年4月23日月曜日

私の還暦過去帳(231)


私がパラグワイから出て、アルゼンチンの首都ブエノスに出てきた
時でした。その時、初めてジプシーの集団に会いました。
彼等は街頭で、何か演奏して女性が踊り、男が演技をして小銭
を稼いでいました。芸達者な感じを受けて、私も若いジプシー女

が永いスカートをひらめかせて、妖艶な感じで踊る様を見ていました。
日本では、先ず見られる光景ではなかったので、真剣な目で見て
いたら、子供がカゴを差し出して、小銭を要求していました。
いくらかのバラ銭を投げ入れ、見ていたら、小金を持った感じの背広

を着た中年の男が、お札をヒラヒラさして、手にかざすと、ジプシー女
が近寄って、腰をくねらせて、その前でダンスを見せ付けていました。
中年の男がお札を胸に挟むと、観衆から喝采が上がり、あちこちで
お札を手にかざして呼んでいました。しばらくすると若いジプシー女の
胸の周りは、かなりのお札が挟まれて、人気が有る事が知れました。

それからしばらくして、ブエノス郊外で野菜栽培を始めた時に、田舎の
小さな町ですが、何かのお祭りの時に、ジプシー家族がトラックと古びた
バスで来ていました。トラックにはポニーの子馬とアルパカの様な動物を
乗せていました。家族はバスの中を、まるでキャンピング・カーの様に
して中が改造してあり、そこに住んで居るようでした。私の農場から直
ぐ離れた場所でキャンプを張っていたから、私は通りながら観察してい
ました。

挨拶すると、にこやかに挨拶を返してくれ、女性は永い黒髪でどこと無
くアジア系の感じが致しましたが、話す言葉はスペイン語を上手に話して
いましたので、長くアルゼンチンに住んでいると感じました。

小さな水溜り脇の、農道の側でキャンプしていましたが、家畜はそこの
僅かな草原につないで草を食べさせて、女性は近所のユーカリの並木
から拾ってきた薪で、3脚の鉄の枠に、お鍋を提げて炊飯していました
が、側の農場の柵にはウサギが吊るされ、調理される所でした。

バスの屋根には、フカフカの羽布団と感じる物が日光に干してあり、洗濯
物も、同じく農場の柵に色とりどりに並んで生活の匂いが漂っていました。
先日までは何も変哲もない、田舎の草が生い茂る農道でしたが、洗濯
物だけで人間の活気が感じられ、酒の入ったグラスを側にギターを弾いて
居る若い男を見ると、別世界の人間と感じることが有りました。

朝早くポニーの子馬と、箱カメラを担いで、町まで歩いて行く姿を見まし
たが、私の農場の横を通り過ぎる時に挨拶して、手を振ってくれたのを
覚えています。夕方暗くなる頃に、買物をしたのか、パンが袋から覗いて
居るのが見られ、ポニーを急がして歩く姿を見ました。

夜になり、かなり離れていたのですが、かすかにジプシー音楽が聞こえ
てパンパンからの風に載って流れて来ていました。チラチラと焚き火の、
ほのかな瞬きが風で揺れるのが見え、日頃はシーンと静まり返っている
草原に、月明かりでバスとトラックの陰が、遠くに黒く見えていました。
そして、日本では経験する事ができない、ジプシー音楽をワインを飲み
ながら聞いていました。

あれから46年も経過した年月では、今はジプシーも田舎では僅かしか
居ないと聞きました。

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