2012年4月21日土曜日

私の還暦過去帳(229)

私が南米に居た当時は田舎の道路は余り良いとは言えませんでした。
46年前で、かなり酷い道路も有りました。
私も南米にいた時代に、かなりあちこちと歩きましたが、特に

私が利用した道路でブラジルのサンパウロから、アルゼンチン
のブエノスまで、パラグワイの首都アスンションから、アルゼンチン
のブエノスまで、これは長距離ですが、バスに乗車した事が有ります。

ボリビア国境からブエノスまで車を走らせた事も何度も有りますが、
当時の舗装は貧弱で、かなり痛んだ路面が有りました。
砂利道で、飛び石の危険が有り、トラックの前方にはかなりの重装備
の防御がしてあり、酷い道では前のフロント・ガラス全体にベニアの
板を張ってあり、ほんの僅かな視野の隙間が開けて有りました。

まるで銃眼の様に、僅かに穴が開いており、そこから外が見えていま
した。特にアルゼンチンのコリエンテの場所を走る時は、湿地帯が、か
なり広く続いていますので、水鳥の生息地として、こちらが
『ぎょー!』と感じるほどに沢山の水鳥達が水辺に生息しているのを、
道路から簡単に見る事が出来ました。

アスンションからの国道11号線だったと記憶しています。ラプラタ河
の沿線を走りますので、河の増水期にはかなり広い潅水した草原が見渡
す限り広がって、牛が浅い水に浸かって草を食べているのを見ました。
一直線にどこまでも・・、どこまでも・・・!パンパの大草原と陸の

海原と感じる大陸の広さです、道路が陽炎の中に消えて行き、また陽炎
の中に次の道が歪んで見えてくる状態でした。
当時はまだベンツの小型ボンネット型バスでしたが、単調なエンジンの

音を響かせて走る中で、何千と言う鳥達がエンジンの音に驚いて飛び立
つ様は壮観でした。バスは前のフロントガラスには、金網のネットを張
ってガラスの破損防止をして有りました。
時々すれ違う大型トラックは全て、鳥の衝突防止がしてあり、轟音です
れ違う大型車の特徴でした。

46年以上も昔ですから、今からしたら自然がまだ沢山残っていた時代
です。パラグワイもまだジャングルがうっそうと、太古からの自然のま
まで残っていた時代です、現在では殆どが切り開かれて大豆畑や小麦畑

になってしまいましたが、パラナ河支流は当時は魚が産卵期に、手掴む
事が出来たと言うくらい、押し寄せて来た事を聞きましたが、今ではそ
の面影も無いと言う事ですが、それだけ様変わりしたようです。

『時代は遠くなりにけり・・・』と言う事ですが、
『自然も同じく遠くなりにけり』と感じます。

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