私の還暦過去帳(232)
私が子供の頃でしたが、かれこれ60年近く前になると思います。
外地から引き上げて来て、郷里の大牟田に住んでいた頃でした。
家の襖の中張りに新聞が張ってあり、それが大阪朝日と言う名前
の新聞でした。漆喰の壁にもベタリと貼り付けて有り、シナ事変
の記事が載っていた新聞でした。
黄色く変色して、かなり読みつらい感じでしたが、狭い物居れの
中で興味が有り、シナ事変の戦闘の様子などを読んでいました。
当時私が住んでいた家は御爺さんの時代からの家で築75年は経
過していましたので、柱などは当時の家の4倍も有る大きな柱で
した。
大工さんが建て直すときは、柱を削りまた使えると話していまし
た。 私が18歳で家を出るまで住んでいた所です、父が暮れに、
襖の修理をして、襖紙の張替えをした時に、余り変色もしてい
ない朝日新聞の古い記事の破片が沢山出てきて、漢字の活字もひ
らがなのルビが付いて、読みつらいものでした。
同じく46年前に、アルゼンチンでの当時の「ラプラタ時報」
「亜国日報」などのタブロイド版の新聞も同じく、ひらがなの
ルビが付いていました。 古い活字を使っていたと感じます。
私が子供時代を過ごした家も売却され、かなり以前に台風の被害
ですでに無く、10年ぐらい前に一度訪ねたら、周りもすでに全
部変わっていました。
夏には周りの田んぼでカエルがゲロゲロと鳴いていたのが懐かし
く思い出されます。
朝日新聞は今ではインターネットでしか見られませんが、楽しみで
毎日かかさずに見ています。 私はパソコンの表紙にはしていませ
んが、先ず開けて見る新聞は産経新聞です。
でも配達の新聞、英字を1社、邦字新聞1社、インターネットで2
社の記事を毎日読みますので、比較が分り、取材の重点ポイントが
掴めます。
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