2012年4月24日火曜日

私の還暦過去帳(232)

私が子供の頃でしたが、かれこれ60年近く前になると思います。
外地から引き上げて来て、郷里の大牟田に住んでいた頃でした。

家の襖の中張りに新聞が張ってあり、それが大阪朝日と言う名前
の新聞でした。漆喰の壁にもベタリと貼り付けて有り、シナ事変
の記事が載っていた新聞でした。

黄色く変色して、かなり読みつらい感じでしたが、狭い物居れの
中で興味が有り、シナ事変の戦闘の様子などを読んでいました。
当時私が住んでいた家は御爺さんの時代からの家で築75年は経
過していましたので、柱などは当時の家の4倍も有る大きな柱で
した。
大工さんが建て直すときは、柱を削りまた使えると話していまし
た。 私が18歳で家を出るまで住んでいた所です、父が暮れに、
襖の修理をして、襖紙の張替えをした時に、余り変色もしてい
ない朝日新聞の古い記事の破片が沢山出てきて、漢字の活字もひ
らがなのルビが付いて、読みつらいものでした。

同じく46年前に、アルゼンチンでの当時の「ラプラタ時報」
「亜国日報」などのタブロイド版の新聞も同じく、ひらがなの
ルビが付いていました。 古い活字を使っていたと感じます。

私が子供時代を過ごした家も売却され、かなり以前に台風の被害
ですでに無く、10年ぐらい前に一度訪ねたら、周りもすでに全
部変わっていました。
夏には周りの田んぼでカエルがゲロゲロと鳴いていたのが懐かし
く思い出されます。

朝日新聞は今ではインターネットでしか見られませんが、楽しみで
毎日かかさずに見ています。 私はパソコンの表紙にはしていませ
んが、先ず開けて見る新聞は産経新聞です。
でも配達の新聞、英字を1社、邦字新聞1社、インターネットで2
社の記事を毎日読みますので、比較が分り、取材の重点ポイントが
掴めます。

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