2011年10月15日土曜日

私の還暦過去帳(73)

だいぶ昔になります、日本に里帰りをしていた時です、帰りの飛行機が
福岡から成田までの便が無くて、福岡より羽田まで飛んで成田には連絡
バスで高速道路を走っていた時です、前にパトカーに先導された救急車
が走っていました。

おかげでパトカーのスピードでバスも走りますので、同時に成田に到着
しました。私はその時は何か知りませんでしたが、出国の審査も済み、
出発の為に機内に乗り込み、先ほどの救急車で運ばれて来たのはまだ若
い心臓に障害がある少年でした。心臓移植しか生き残る手段がないと聞
きました。エコノミークラスの座席を潰して寝台にして有りカーテンで

中は見えない様にして有りました。医者と看護婦が付いていまして、側
に母親も居ました。座席はかなり満席に近い状態で、丁度私が座った椅
子の少し後ろでしたのでサンフランシスコに到着するまで全部観察して
見る事が出来ました。成田を夕方飛び立ってしばらくして水平飛行に入
り、飲み物が配られ、しばらく寛いでから後部トイレに行く時に少し開

いたカーテンの隙間から小柄な少年が見え、簡易ベッドに寝て居ました。
その時、医者が聴診器で少年を診察していましたが、少しやつれた感じ
で、小さな声で何か答えている様でした。その時少年が母親を呼ぶ声が
して、『お母さん~!』と聞えた感じがしました。そのまま行き過ぎて
後部トイレに行き、用を済ませて、帰りにまた少年を見る事がが出来ま
した。

母親が子供を抱きかかえる様にして何か飲ませ様としていました。
少年が母親を掴んでいる腕を見て、一瞬『どきり~!』としました、そ
れは余りにも細い感じの腕だったからです、血管が浮き出てやつれ果て
た感じが、私の心に痛いほど突き刺さりました。座席に戻ってから私の
心に『なぜ~』と言う感じで、疑問が湧いて来ました。なぜ日本の医学
水準があれだけ高いのに、移植治療が出来ないのかとーー!

その当時はまだコンセンサスが出来ていないと言う事で移植治療は法律
で禁止されていました。ばかげた事です、日本国内では禁止で海外では
お構い無しと言う、矛盾に満ちた法律です、それも一部の医学者や、代
議士達や、その移植医療に反対する団体が全国民を代表するかの様に、
声高く反対していました。『日本ではまだ時期早期だとーー!』脳死判

定法も確立して居ないと言う事でした。その法律制定も待てずに死んで
行く人が沢山居るのにと思いました。その現実を目の前で見て、肌で感
じて、感情で学び悟りムラムラと怒りが湧いてきました。食事時間にな
って、私は余り食欲も有りませんでした。機内乗務員が忙しく通路を行

きかい、少年にも何が食べたいか聞いていました。母親が子供に聞いて、
何か話している感じが分かり母親が『何か少しでも食べないと~!』と
子供に諭している感じで、医者も同意していました。機内食が運ばれ看
護婦が食べさせて居るようでした。

側で医者も医療カバンを側に退けて食事をしていました。落ちつかない、
騒然とした機内での雰囲気では、食事も満足には出来ません。看護婦か
ら母親に交替して、食事を子供に食べさせていました。看護婦も側で落
ちつかない食事をしている様でした。全てが狭い機内です、直に肌に伝
わって来ます。しばらくして、食後のお茶が再度配られる頃に、子供が

食べていた膳が乗務員にて運ばれて行きましたが、側を通過する時「チ
ラリーー!」と見えたのは殆ど手が付けられない食事の膳でした。その
後映画があり、それが終ると機内は暗くなって仮眠をする人が沢山いま
した。薄暗い機内でカーテンの中が明るく電灯が輝いて、外に漏れてい
ました。医者が聴診器で時々、診察しているのが感じられ子供と母親の
話し声も聞こえていました。

薄暗い機内でささやくような声ですーー!
『早く元気になって、また日本に帰ろうね~!』と母親が子供に掛ける
声がしていました。私は眠れない夜間飛行のエコノミー席で、朝まで子
供が微かにうめくような声を聞いていました。サンフランシスコ到着3
0分前のアナウンスがあった時、私の心は『なんで~!なんで~!こん
な子供を移植治療の為にアメリカまで送らなければならないかーー!、
それもその母親が話してくれた、 募金カンパの資金での渡米でした。

狂っているーー!日本の政治は良心も恥じも無いような代議士と、政治
家と役人が人の命もかえりみない政策をしているのかと感じました。移
植治療に反対する人間を一晩この夜間飛行の子供の側で、座らせてやり
たいと感じました。それとーー! 反対する人達の自分自身の身に同じ
事が起きたらーー!

もしも家族の自分の妻や、子供達、親兄弟など、親族の中で、移植治療
しか生きる手段が無いと宣言されたら、反対する立場の人間はどう答え
るか知りたいと思った。その前も新聞などで、長い間臓器移植に望みを
掛けて亡くなられた人の話しを見て、胸が痛む思いがしていたが、現実
に私にとって憤激の感情が渦巻いていた。『それで良いのかーー!日本
の臓器移植治療はーー!』と、それからしばらくして、日本も移植治療

が国内で出来る様になりましたが、まだ子供の提供は法で禁止されてい
ます、子供は臓器提供の判断が自分では出来ないからと言う理由です。
カリフォルニアからイタリアに家族で休暇中のアメリカ人家族が高速道
路で銃撃を受けて子供が脳死状態になり、両親はその子供の臓器をイタ
リアで移植治療に望みを掛ける子供達に提供しました。怨念を超えた行

為にイタリア政府は国家を代表してイタリア空軍の特別輸送機で家族と
少年の遺体をカリフォルニアまで送り届けました。アメリカの友人が
『もし日本で同じ事が起きたら、日本国政府は同じ様な行為をすると思
うかーー?』と聞かれました。私は答えに困り、上手く返答が出来ませ
んでした。

そして、アメリカ人の友人が、日本では親の判断一つで、まったくお腹
の子供の意思も関係無く親の勝手な判断で、堕胎をが行なわれていると
嘆いていた。おそらく出生してくる赤子よりも多いかもしれない数だと
話していた。

アメリカは州によって変わるが、日本国内から比べたらまだ良い方だ、
日本は私が見たら『人命無視の堕胎天国だ~!、』とアメリカ人が批判
していた。
彼は堕胎は殺人だと言っていたが、それを非難して、反対して禁止する
政治が無いと嘆いていた。彼が皮肉にも『お腹の子供の殺人は良くて、
子供の臓器提供はダメとは』と嘆いていた。それが現実の日本の政治な
らば、どこか狂っている政治だとーー!アメリカ人にその話しを突き付
けられた時に、私は何も返す言葉が無かった。

私と同じ飛行機に同乗した少年は、移植治療の甲斐も無く日本に帰国す
る時は、小さな箱で母親の膝に抱かれて帰国したと言う事です。ご冥福
を深くお祈りすると共に、これからの日本の社会が臓器移植治療に理解
と一層の推進を願っております。

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