2011年9月30日金曜日

私の還暦過去帳(63)

  たかが寿司、されど寿司なりーー、
  たかが刺身、されど刺身なりーー、
  
祖国を遠く離れて、恋しき思いは故郷の山河や、親兄弟
  ばかりでは有りません、思いきり食べたい物も有ります、
  時代はかわれど、思いは同じーー、死ぬ前に思い切り
  寿司を食べたいと言って亡くなった人も居ますーー、
  
今日のお話は約45年前のお話です。
(上)
今日は早く起きて太陽が顔を出す前に畑の見回りに行き、農場のクリス
マスから正月にかけて働く人間もいないガランとした小屋の前を通ると、
犬がのんびりと道に寝ている。
出稼ぎのインジオ達がクリスマスの前から田舎に帰って、農場の食堂も
三名のボリビアから来たインジオが居るだけで静かだ。

南米の正月は真夏で暑い盛りで、日本のような正月のイメージは余りな
いが、正月にはエンバルカションの町の近郊の日本人が集まり、新年会
をするのが決まりである。
今年は私が新年会の幹事を受け持ったので、今日は何だか忙しくなりそ
うな一日である。
先ずは食道でコーヒーをコップに一杯もらうと、ミルクを入れてゆっく
りと飲んだ。

出口の所にぶら下げってあるバナナを一本取ると、食べながら歩き出し
た。
一人のインジオが飛び出して来て何時に町に出るか聞いた。
「8時だーー!」と言うと、町まで乗せてくれと言った。
トラックをスタートさせる前にふと思いつき、庭の赤い花を5本ばかり
切り取り、町へと出発した。
途中、川の近くで、前に強盗に襲われた時に一味の犬を射殺して埋めた、
石を盛り上げて作った墓に花を添え、廻りの草を取り綺麗に掃除した。

トラックの荷台に乗っているインジオ達が黙ってジッーと見ている。
かまわず全部終らせるとトラックをスタートさせた。
暑い太陽の下、乾き切った土道から砂埃が舞い上がった。
ジャングルの細い道をしばらく走っていると、一本の倒木が道を塞いで
いた。
三人のインジオ達が降りて来て、マチェーテで枝を切り始めた。

トラックから斧を持って行くと、一人が手際よく半分に切り取り道から
押し出した。
インジオ達は汗を拭いもせず、アッと言う間に片付けてしまった。
ヤレヤレ自分でやらなくて済んだと思う間もなく町に着いた。
町外れの雑貨屋でビールを買った。「さあ~!今日は正月だーー!」
まず冷たいビールで前祝をした。

ビールを貰ったインジオ達は嬉しそうに廻し飲みをしている、今日は何
をするのかと聞くと、何も無いーー、ただ休みだから町に出て来たとの
事である。
三人と別れて、大城氏の洗濯屋に行った。
今日の新年会の会場である。そこにはバケーションでブエノス.アイレ
スから来ている健ちゃんこと、吉田健一氏が待っていた。

彼はブエノスの大洋漁業の経営する「マグロの家」と言うレストランの
板前である。
大城氏と知り合ったのは二年前、ボリビアからヒッチハイクでトラック
に乗ってこの町に来た時、この小さな町でトラックが止まり行く所が無
く、ブラリと入って来たのが初めてである。
彼は「包丁一本、さらしに巻いて」の歌にあるような人生で、中学卒業
と同時に、板前の修業に出て20歳でアメリカに渡り、メキシコ、ペル
ー、チリー、ボリビアを経てアルゼンチンに来た渡り人生である。

彼がブエノス.アイレスから月桂冠の特級6本、4本の1升ビン入りの
富士の銘水の瓶詰、輸出用の樽入りキッコーマンの醤油一樽を持って来
てくれた。
これは全部私の注文で、港で日本船から買って来た物である。
今日は8家族くらいは集まる予定で、新年会のご馳走は各自持参、そし
て幹事が考えて作る特別御馳走とで、半分ずつと言う割合で毎年作って
いる。

健ちゃんがニヤリとして店から出て来ると、「あとは、魚が着くだけだ
ーー!」と言った。
アントニオのトラックはタルタガールの町を出発したと電話が有ったの
で、あと一時間で着く様子だ。
チリーの太平洋の港町からアンデスの山をマグロが超えて来る。
ドライアイスを詰めた茶箱に大城氏の知り合いのチリー在住の大原氏の
世話で、アントニオのトラックに魚を載せて貰った。

真夏の太陽がジリジリと朝の冷気を溶かしている。
健ちゃんが「暑くなりそうだ、今日は刺身と寿司で驚かせてやろうーー」
と言うと、ニヤリとした。
日本米は隣りのパラグワイから、坂梨氏が日本人移住地から集めた米を、
モチ米と共に分けてもらった。
今日の為に三ヶ月も前から用意している。
この新年会で刺身のトロを腹が緩くなる程食べさせてやろうと考えた時、
大城氏は「やめとけ~!」と言っていたが、今では一番熱心に協力して
くれる。

この秘密は大城夫妻、健ちゃん、そして私の四名しか知らない。
大城氏の洗濯屋の隣りの前がレストラン、裏が小さなホテルのロベルト
の店にも今日はレストランが休みなので、一部調理場を貸してくれると
の話しもついている。

隣りのレストランのポーチのテーブルに座り、ゆっくりと通りを見てい
ると、健ちゃんがコーヒーを持ってきた。一口飲んだ所で町の中を通り
抜ける道に土埃りが遠く見えて来た。

ゆっくりと、スピードをおとして、ジーゼルエンジンの音を響かせてア
ントニオのトラックが止まった。
アントニオがゆっくりとトラックから降りて来ると、「予定どおりだ。
約束の魚は間違いなく持ってきた」と言って、大型の茶箱で作ったアイ
スボックスをロベルトの調理場に運び込んだ。
中にはギッシリと魚とドライアイスが詰まっている。
健ちゃんがアントニオの朝食を出した。

私が入れたコーヒーを飲み終えるとポケットの金を押さえて、ニコニコ
して出て行った。
健ちゃんはもう箱から魚を出して用意を始めた。大城氏の裏庭で煙りが
上がり、大釜で御飯を炊いて、その横でアサード(アルゼンチン風バー
ベキュー)の用意を大城氏の奥さんが始めた。
大城家の広い裏庭のパテイオと広間が新年会の会場である。健ちゃんは
運び込まれた箱から手際良く魚を次々と出して調理している。
その見事な包丁さばき、プロの板前の仕事を見せられた。

魚の大鯛二尾は姿造りの刺身として大皿に踊っている。
金城氏が一月二日に、80歳の誕生日なので、丁度良いお祝いの一品だ。
健ちゃんは、マグロは特上のトロが沢山あると言ってご機嫌である。
その時、一番乗りで鈴木氏夫妻が重箱を抱えて「何かヘルプする事は有
りませんかーー」と、調理場に入って来た。
入って来るなり、『ワ~!』と唸り声、そして奥さんのーーー、『アー!
アー!アー!』と声にならない言葉で喉を詰まらせている。
    
この話の続きは次回(下)を楽しみに~!
40年前、南米での田舎町であった正月の一大事件です!

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