2011年9月25日日曜日

私の還暦過去帳(59)

私がワンダーと言う女性と知り合ったのは、次男がバークレー大学に在
校していた時でした、友人で一度家に連れて来たからです、彼女は次男
より三歳ほど年上で、その当時は働きながら、大学に通っていました。

彼女の人生はかなり厳しい人生の道程で、母親との折り合いが悪くて高
校卒業の翌日には東部の田舎から、サンフランシスコに居た兄をたよっ
て着替えを入れたバックを一つ持って、グレーハウンドバスで出て来ま
した。

最初は兄の家で寝起きして、レストランのウエイトレスをしていたそう
です、二ヵ年ほど仕事をして、お金を貯めて、一部屋を借りて共同生活
を始めて、コンピユーター学校に通い始め、頑張ってプログラーマー
の仕事を取り、その当時成長期のPCの会社で激務をこなして、かなり

の蓄えを作り、きちんと5時で終る会社に転職して、大学に通い始めた
そうです。その時すでに26歳でコミニテイーカレッジで、優秀な成績
で北カリフォルニアで一人、特待生の奨学金を貰い、授業料免除の恩典
でのバークレー大学に転入学を果したそうです。彼女はベジタリアンで

菜食主義をキチンと守って生活しています、か細い身体で、どこにこん
な情熱があるのかと言うような感じで、つつましい生活をしながら、ジ
ーパンと運動靴の化粧無しの顔でした。

バークレー大学で二ヵ年勉強して卒業して、エール大学から大学院の特
待生、授業料免除、生活費も補助が出る一人に選ばれて、大学院に入学
しました。

何一つ無駄無く、つつましい生活で勿論、車も持っていません、バーク
レー大学卒業の時に、次男がお祝いをしてやりました。
勿論、私達も一緒に食事に行きました。
彼女の希望で日本食でした、野菜てんぷらと、あげだし豆腐、海苔巻の
カッパ巻き、アボガド巻きでした。

美味しそうに食べてくれて、食後はケーキ屋でお祝いのケーキを食べて
別れましたが、実の母親は離婚して複雑な様でした。
一度も話しは聞きませんでしたが、次男が少し話してくれましたので、
いくらかは知る事が出来ました。

去年の夏はインドのヒマラヤの近くの農村地帯の奥地で、一番近い電気
のある町まで、歩いて3時間も掛ると話していました。
そこで農村調査をして、3ヶ月も居たそうです、月に一度、買い物と、
メールを受け取り、インターネットでの連絡で、それと、予備のパソコ
ンの電池を充電して、4時間掛って登り坂を越えて村にたどり着くと話
していました。

毎日、薄く焼いたパンと、野菜カレーが主食の現地食で、たまにヨーグ
ルトや、ヤギのチーズが口に出来る辺ぴな場所での研究調査です、現在
はエール大学の寮に住んで居ますが、今年も6月から同じ場所に行くそ
うです、インドの酷暑の現地で、マラリアや、アメバー赤痢などに掛ら

ない様に祈っています。これまで一歩、一歩と這い登って来て、エール
の寮に入るまでは、猫が最大の家族で、その猫は次男が預かっています、
寮はペット禁止なので、アパートに住んで居る次男が現在飼っています
が、現在、彼女が次男のアパートに居る猫を訪ねて来ているそうですが、

明日は又、大学に帰ると電話で話していました。来年は卒業です、イン
ドの大学で助教授として仕事を二ヵ年する事が決まっています、その傍
ら現地での研究も続けると話していました。
それが全部済む頃は彼女は何歳になっているかと、ふとーー、思う事が

有ります。アメリカに遊学に来て、こずかいふんだんーー、幸せ一杯ー
ー、沢山のボーイフレンドを作り、高級車を乗り回して、親から貰った
クレジットカードで、何でも買う事が出来るドラ娘、茶ぱつの髪でーー。

これ~日本人と、ふと疑問が湧く事があります、人それぞれですが、こん
なアメリカ人も居る事を知って下さい、素敵な彼女の笑顔を見せられな
いのが残念ですーー。

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