2011年9月11日日曜日

私の還暦過去帳(49)

かれこれ、30年ほど前になります。

 私がその頃は視力も良くて、かなり標的射撃に凝っていた頃でした。
良く近所の射撃場に週末は出かけて、大型ライフルで100mの射場で
のんびりと射撃を楽しんでいました。かなり時間を掛けて撃ちますので

長く同じベンチで撃つ横の人とも仲良くなりまして、休憩時間では楽
しく話しをする事も有りました。大型ライフルは狩猟のシーズン前は
 練習の為に来て撃つ人が沢山居ました。アメリカでは大型の狩猟動物
が沢山居ますので、アラスカまで遠出してガイド付きでハンテングする

人がかなりいます、しかしその様なハントはかなりの金額が掛りますの
で金持ちの趣味です、ヘラジカは一頭の狩猟許可が1000ドルと聞き
ましたので、昔ですが驚いた事があります、しかし1000キロもなる
大型の獲物ですから、一人では簡単には狩猟に出掛ける事は出来ません

 ので、ガイドを雇い、奥地に飛ぶ飛行機やキャンプの準備をする人やら
でかなりの人数となり、その様な条件をこなせる人ですから、かなり裕福
でなければ出来ません。時々会っていた人でしたが年配の白人でした。
彼は大型のライフルでも象撃銃を持って来ていました。現在は象の狩猟

は出来ませんが、昔、おじいちゃんがアフリカで使った物だそうでした
ので、かなり古い英国製の単発の45口径の、どでかいライフルでした。
弾は手詰で、自分で作ると話していましたが、銃身は余り長くはありま
せんでしたが、かなりずっしりした重みが有り、貫禄十分で凝った彫刻

も入れて有りました。そのライフルを撃たしてくれると言う事で私は
生まれて初めて、象撃銃を一度だけ撃ちました。100mの狙いを
付けて撃ちましたが、『どか~ん!』と物凄い音でした。
肩が『ドス~ン!』とショックを受けて、『いててーー!』となり、

少し恐怖を感じたほどでしたので、かなりのショックです。しかし
大きな標的の紙でしたが、かなり良い所に命中していて、初めてでは
たいしたものだと誉めてくれ、『やれやれーー!』でした。
標的交換の少し長い休憩時間に彼がコーヒーを勧めてくれ、交換しな

い私達は後ろに下がって、木陰で話していた所が彼が『私は戦時中は
沖縄近海で空母の対空機関砲の射手をしていた』と話してくれました。
神風特攻機が攻撃してくるのを体験したと話していましたが、低く
海面スレスレに雷撃機を操縦して空母の飛行甲板の横に有る、エレベ

-ター目掛けて海面の波しぶきを浴びる様に低く、操縦している若い
パイロットをハッキリと見たそうです、白いマフラーが印象に残って
忘れられないと言っていましたが、重い機体の雷撃機の最後の突入
の瞬間まで見ていて、激しい衝撃と爆風で銃座に叩きつけられて気絶

したと話していました。幸いにカスリ傷ぐらいで助かり、しかし
甲板の飛行エレベータ付近に居た者は全員戦死したと話していました。
射撃が終って帰宅する時に彼は『戦争なんか若者の命を無駄に捨てる
様なものだーー!絶対にーー、絶対に起してはならない』と話して

握手して別れました。帰宅してシャツを脱いで肩を見たら青アザが出来
ていましたので、そのショックがかなり酷いものであったと感じます。

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