2011年9月12日月曜日

私の還暦過去帳(50)

この嘆願書は前に総理大臣に送ったものです、

      内閣総理大臣に対する嘆願書、

      内閣総理大臣、小泉 純一郎殿、

閣下に対しまして、嘆願の心を込めて一筆差し上げます。日本国の出生
届けの条項において海外での出生届けを在外公館でする場合、特に南米
の奥地に入植した移住者などが、昔、入植した南米パラグワイなどで、
主用永年作物の販売不振、短期換金作物、野菜などの市場閉鎖で赤貧洗
うが如き生活をしていた移住者が、公館での手数料も払う事が出来ず、

又、公館までの交通費も事欠く状態での窮状の時、それに日本から持っ
てきた衣類は全て換金か、したて直して子供服に改造して、着て行く物
も無いような状態で、作業服と地下足袋での生活をしていた時の子供の
出生で、期限の3ヶ月を過ぎてもどうする事も出来ずに、両親共に、日
本人で有りながら、又パスポートも所持していながら、公館での出生届
けを断念した人達が居ると言う事を知って下さい。

その方々はその後、パラグワイから隣国アルゼンチンに再移住して、生
活の基礎を探し出して、子供が20歳になり、日本に仕事に行く時にな
り、始めて本人がその事を知って、大使館での嘆願も無視されて、日本
国籍を申請出来る条件を持ちながら、本来ならば成人の暁に、国籍の選
択も出来るチャンスも持ちながら、貧困の為に日本国の法の平等の恩恵

も受けられず、日本国のパスポートを発給してもらえなかった人が居る
と言う事を認識して下さい。日本赤軍リーダーの幹部の娘は、28年間
ものあいだ、無国籍で居た者が日本国籍を貰えて、地を這う様に仕事を
して来た日本人の移住者の子供は無視されると言う矛盾は納得行きませ
ん。母親は乳の不足を何とかしなくてはと、その子供の為にミルク瓶 一

回分の粉ミルクを借りる為に、夜道を2キロも歩いて行ったそうです。
米も一日一食で、後はマンジョウカのイモを豚のラードを取った油粕で
食していたのを知っています。醤油も買えず、岩塩を瓶で潰して塩汁の
野菜スープを飲んで育てられた子供にも、日本国憲法の法の下での平等
では同じだと確信するもので有ります。願がわくばこの様な生い立ちの

日本人を無下に嘆願を門前払いしない様に、閣下の大臣通達にて、在外
公館での国籍法に有る、特別の理由の中に法の解釈の一部として認めて
下さいます様に、切に伏してお願い申し上げます。
そのような子供が現在、日本の3Kと言はれる仕事をして、日本の産業
を支えています。閣下のご理解と日本国憲法にも温情と、法の正義が有
る事を世に知らしめて下さい。
重ねて宜しくお願い申し上げます。

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