私の還暦過去帳(72)
人は様々な生き方の人生を歩み、走り、疾走して終着点まで到着します。
早い人、遅い人それぞれです。私が会った方で、探検家として冒険家と
して有名な植村直己氏です。私が彼を知ったのは1962年ぐらいの頃と思
います。大学に居た当時、明大の山岳部には凄いタフな男がいると聞い
た事があります。その人が植村氏でした。
彼は1964年明大を卒業して、5月にアメリカに旅立つたが、私は8月に
南米のパラグワイに単身移住をして、横浜を出航して行きました。
そのあとは彼の消息を知ったのは、アルゼンチンのブエノス、アイレス
で丁度、彼が南米最高峰アコンカグワに単独登頂して戻って来た頃で仲
間の友人と安宿に滞在していました。彼はアマゾン河の筏降りを計画し
ていた頃と思います、彼は冒険家として常日頃、ニユースで消息が載っ
ていましたが、私は彼が冒険家としての職業を選ぶとすればいつの日か
彼は危険な局面に出会い、命の危険もあると感じていました。
彼は単独登頂と言う登山、人が試みない冒険など、話題が絶えない人で
した。私は土に情熱を掛けて人生の道行きを試して居た頃で、南米のジ
ャングルでの開拓に人生の面白さを見出して、熱中していた頃でした。
それぞれ人は一つの物語を残すと言いますが私は平凡な百姓の農業の道
でした。一度日本に帰国して1976年にアメリカのカリフォルニアに家族
を連れて移住して来て、3人の子供達と平凡な家庭生活を楽しく営み、
子育てに親の生き甲斐も見出していた頃でしたが、確か1984年頃で、ア
ラスカのマッキンレー冬季登山をして、登頂に成功して下山途中に行方
不明となり、帰らぬ人となりましたが、そのニユースを聞いた時は悲し
くなり、同じ歳の人間としてその冥福を祈っていました。私は彼の生き
方が何か、つきものに取りつかれた様に人生を走り抜けて行った人だと、
今でも感じます。
人はそれぞれで、人生は一度しか有りません、しかしその命短い人生を
どの様に使うか、その人の人生ですーー!貴方はどの様に計画して実行
していきますかーー!、一つだけの貴方の人生です。
植村直己氏は確か43歳でアラスカの冬山に消えて行かれました。
1 件のコメント:
私も消えるかもしれませんが、放射能被曝を避けて日本から欧州に避難することにしました。
偶然お見かけしたRick様のメッセージにとても勇気づけられました。
数々の貴重な経験談とてもありがたいです。
ありがたく私の糧とさせて頂きます。
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