2011年10月5日水曜日

私の還暦過去帳(67)

人は生まれて一つの人生の、そして運命の道を歩きますが、その彼女を
私が47年の長きに見詰めて来た人ですーー、彼女は東北の山奥の村か
ら、南米のパラブワイに家族に連れられて移住して来た人でした。

親がパラグワイでの入植地での経営に失敗して、ブラジルに新しい生活
の場を求めて再移住していく時、親が近所の若い青年に娘を托して嫁に
やったのでした。

彼とは10歳も年齢が離れていましたが、18歳になったばかりで僅か
な服と、着替えを風呂敷に包んだだけで、簡単な結婚式を教会で挙げた
だけでした。

しかし結婚した青年も両親を抱えて、頑張って営農に励んだのでしたが、
結局はアルゼンチンに再移住して行きました。
パラグワイでは余りに販路が狭くて、農作物を作っても売れなかったか
らです、当時彼女は22歳で二人目の子供を産んだばかりでした。

私が先にアルゼンチンに出ていたご主人と知り合い、パラグワイの入植
地を訪ねて行った時、彼女はご主人の両親と子供二人を抱えて、毎日農
作業に精出して働いていました。

朝は4時には起きて、家畜の世話をしてから、朝食の準備をしていまし
た。
一晩でしたが泊まりまして、彼女の生活の一日を見たのでしたが、とて
も現在の若い女性では、半日でも耐えられない仕事だと思います、それ
は男の私でさえ唸らせた仕事ぶりだからなのです、東北人の粘リ強さ、

それしか出来ないと言う、思い込みでの熱心な仕事の打ち込み方、家族
を思うひたむきな情熱、、生きて行かなければならないと言う執念ーー
ー、どれを見ても男の私が気押されてしまう感じでした。

アルゼンチンに再移住しても、愚痴一つ出さずに、ご主人の両親を支え
て、バラックの小屋で、真冬の寒い日に井戸水で洗い板での洗濯をして
いる姿を見て、胸に「グーッ~!」と来るものが有りました。

パラグワイでは亜熱帯の気候でブエノス郊外での真冬の寒さは有りませ
ん、あかぎれに、がさがさになった両手にワセリンを塗って手袋をして
鍬を持って草取りをしていました。
かなり寒さになれている東北人の執念を見ました。

南米のおしんですーー。

ブエノスから160Kmぐらい離れた小さな町で、パンパから吹きすさ
ぶ風に手ぬぐいで、ほお被りして野菜畑で仕事をしている姿を訪ねて行
く度に見ました、そしてーー、側の畑の畦の間では、風を避けて子供を
毛布で包んで寝かしていました。

この様にひたすら仕事に明け暮れての生活でしたが、ご主人がすい臓ガ
ンであっけなく亡くなると、その借金を清算する為に2ヵ年間日本に出
稼ぎに行って、病院の付き添い婦として昼夜の別なく仕事をして、ご主
人が残した多額の借金を全部払ってしまいました。

アルゼンチンに帰って来てホットするまもなく、交通事故で3ヶ月もの
間ギブスに入っていた、両足骨折での車イスの生活をしていました。

現在ではやっと杖を付いて歩ける様になり、暇な時に時々畑に出て草花
を作って、生活の糧にしているそうです、生活は出稼ぎで日本に居る息
子の仕送りと、僅かな年金を貰い平穏な暮らしをしている様です。

先日の国際電話で、彼女の声でーーー、「私の人生てーー、なんで有っ
たのだろうか~!」と、疑問の声を出していました。
しかしーー、「でもーー、精一杯頑張ったのであったから、後悔は無
い~!」と言っていました。
彼女は今年で70歳になります。

貴方でしたら、彼女の人生をどう感じますかーー?

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