私の還暦過去帳(36)
今日のお話は現在、沢山の老齢になって永久の旅立ちにつかれている、
多くの戦後アメリカに来られた人達、及び南米での移民達の最後の、御
世への世界に旅立ちの有り様です。
第二次大戦後、多くの日本人が祖国日本を離れて海外に移住して、又結
婚して海外の見知らぬ土地に居を構えて子供を育て、ながきに渡り日本
に帰国する事も無く、へんぴな田舎で、廻りに同胞の日本人も居ない様な
土地で、孤独に耐え、短波ラジオのNHKの放送を聞くのが楽しみだっ
た昔の人達が、ご主人も亡くして、子供も都会へ去り家庭を築き、訪れ
る事も無く田舎の寂しい生活に耐えて、自分では運転する事も出来ずに、
親しい友達と電話で話する事が一番の楽しみとして、弱った体を窓際に
寄せて、郵便屋さんが毎日訪れるのを楽しみにしている婦人も、昔はご
主人が元気な時は、4時間もドライブして、シカゴの町まで、毎月出て
いくのを楽しみにしていたそうです。
日本料理を食べて、食材を仕入れて日本語の雑誌など買い込み、連休な
どの時は、一晩泊まって知り合いと待ち合わせて、楽しい時間を過ごし
たそうですが、時が経つに連れて、友達も一人去り、二人去りして、
寂しくなっていったそうです。この様にして日本の祖国を思いながら人
生を閉じられた方々が沢山アメリカの田舎には居られます。
私の近所のご婦人は、65歳過ぎて、昔の思い出に主人とアメリカ大陸
横断のトラックに、助手席に乗ってドライブした思いでを探りながら、
一人その道をたどって運転して、シカゴ郊外の田舎で、まさに祖国日本
の山河に思いをはせながら、臨終の床に有る友達を訪ねて行ったそうで
すが、サンフランシスコから、大陸を横断してのドライブをどのような
心で運転していったか、心が熱くなる感じがします。中には結婚に反対
されてアメリカに渡り、一度も日本に帰国する事もなく、東の空に両手
を合わして、両親の冥福を祈って自分もその生涯を閉じられ方も居ます。
多くの邦人が祖国日本に思いをはせながら、異国の草葉の陰に墓標とし
てだけ残って、過去に消えて行きました。
そのような方々に深く哀悼の意を捧げ、影ながら日本国を支へてくれた
感謝の気持ちを、ここに深く表すもので有ります。
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