2011年8月24日水曜日

私の還暦過去帳(36)

今日のお話は現在、沢山の老齢になって永久の旅立ちにつかれている、
多くの戦後アメリカに来られた人達、及び南米での移民達の最後の、御
世への世界に旅立ちの有り様です。

第二次大戦後、多くの日本人が祖国日本を離れて海外に移住して、又結
婚して海外の見知らぬ土地に居を構えて子供を育て、ながきに渡り日本
に帰国する事も無く、へんぴな田舎で、廻りに同胞の日本人も居ない様な
土地で、孤独に耐え、短波ラジオのNHKの放送を聞くのが楽しみだっ
た昔の人達が、ご主人も亡くして、子供も都会へ去り家庭を築き、訪れ

る事も無く田舎の寂しい生活に耐えて、自分では運転する事も出来ずに、
親しい友達と電話で話する事が一番の楽しみとして、弱った体を窓際に
寄せて、郵便屋さんが毎日訪れるのを楽しみにしている婦人も、昔はご
主人が元気な時は、4時間もドライブして、シカゴの町まで、毎月出て
いくのを楽しみにしていたそうです。

日本料理を食べて、食材を仕入れて日本語の雑誌など買い込み、連休な
どの時は、一晩泊まって知り合いと待ち合わせて、楽しい時間を過ごし
たそうですが、時が経つに連れて、友達も一人去り、二人去りして、
寂しくなっていったそうです。この様にして日本の祖国を思いながら人
生を閉じられた方々が沢山アメリカの田舎には居られます。

私の近所のご婦人は、65歳過ぎて、昔の思い出に主人とアメリカ大陸
横断のトラックに、助手席に乗ってドライブした思いでを探りながら、
一人その道をたどって運転して、シカゴ郊外の田舎で、まさに祖国日本
の山河に思いをはせながら、臨終の床に有る友達を訪ねて行ったそうで

すが、サンフランシスコから、大陸を横断してのドライブをどのような
心で運転していったか、心が熱くなる感じがします。中には結婚に反対
されてアメリカに渡り、一度も日本に帰国する事もなく、東の空に両手
を合わして、両親の冥福を祈って自分もその生涯を閉じられ方も居ます。

多くの邦人が祖国日本に思いをはせながら、異国の草葉の陰に墓標とし
てだけ残って、過去に消えて行きました。
そのような方々に深く哀悼の意を捧げ、影ながら日本国を支へてくれた
感謝の気持ちを、ここに深く表すもので有ります。

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