2011年8月18日木曜日

私の還暦過去帳(32)

今日の話は1964年頃、ブラジルとパラグワイの国境の、
ポンタ.ポランとペドロ.ファン.カバイェロのお話です、

その当時、ペドロ.ファン(パラグワイ側)には、アマンバイ農協と
言う 日本人の農業組合がありまして、移住地を作っていました。
主にコーヒーの植え付けをしてその他養鶏の仕事も沢山始めていま
した。

ブラジルとパラグワイの間の国境はその当時、土道のボコボコ道で
した 真中の国境線の真中に沢山の十字架が並んでいましたので、
「何故か!」と聞きました所が、「殺し合いをして、国境の真中に
死体を 置いておくと両国に裁判権が無いとの事、」驚きでした。

昔、ブラジルとパラグワイの兵隊が仲間を喧嘩で殺されて、殺しあ
って 国境の真中に捨てたそうです、その他殺人事件で証拠隠滅と、
裁判権を 無くす為に捨てたそうですが恐ろしい事を考えたものです、
その当時驚く事に、フォードのA型がタクシーで走っていました。

勿論オープン.カーですがホロが付いていました。
スパスパーー!パタパター!とエンジンを吹かして走っていましたが、
その当時でも珍しく、立ち止まって見ていました。
パラグワイ側の国境警備兵が夜中に通行人を脅して、勿論ライフルを
付きつけて、「タバコをくれ」です、時には「お金もくれ・・・」と言い

ますので強盗です。暗闇からヌ~ッとライフルを付きつけられると、
あまり気持ちの良い物では有りません。しかし一度兵隊が脅した相手
が反撃して、拳銃で抜き打ちに射殺してしまい、相棒の兵隊は詰所
の中で 朝の交替時間まで、ライフルを抱えてふるえていたそうです、
その当時のライフルはボルト.アクションですので発砲するまで時間

が かかります、拳銃がもっと早く発射出来ます、私もその当時いつ
も小型の22口径の拳銃を所持していましたので、それとかなり
熟練して、上手に 撃てました。一度兵隊が呼び止めましたので、一人
がライフルを構えて、相棒の兵隊がポケットの中に手を入れ様としま
したので、腰の後に隠していた拳銃を引き抜きざまに相手に向けまし
たら驚いて、それとーー、

相手のライフルの銃口部を左手で握って横に向けていましたので、
此方も撃たれる恐れがないので、私が有利です、直ぐに兵隊が
「撃たないでくれーー!」と言います、私も「いくら欲しいかーー?」
「タバコ代ぐらい欲しい」と言います、10ガラニーほどやりまして、
タバコを2本火を付けてやり、吸わせてやりました。

18~9の若い兵隊です、それから仲良しになりまして、同じ兵隊が
立ち番している時には、良くタバコの一箱をくれてやりました。
その当時、首都アスンションまでは直通の道がなくて、コンセッショ
ン まではトラックで下りて、そこから河船で行きました。
昔の事です昼間暑いので夜に走ります、荷物の上に乗って行きました。

暗くなって同乗していた兵士が、ライフルに実弾をポケットから1発、
1発出して詰めていきます、私は大豆の袋の間で夜風を避けて寝て
いました、兵士が同乗しているので、少しは安心の旅でした。

その当時ブラジル側の鉄道線路工夫は皆、腰には38口径の拳銃を
ベルトに吊っていた時代です、昔のなつかし思い出です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム