2011年7月30日土曜日

私の還暦過去帳(22)

私もカリフォルニアに35年、南米や終戦で引き上げるまで住んで
いました台湾などを計算に入れると、人生の半分以上は海外での
生活になります。友人が称して「アメリカボケ」 「はんぱーー、
日本人」「お前の脳みそはチーズ」などなどーー、酷いことを
言います。近頃は「あ~!そぉ~!」でお終いですが・・。

成田空港で出発ロビーでの待合をしていたら、ペルーの日系3世が
カタコトの日本語で、「貴方はスペイン語を話しますかーー」
と聞いて来ました。

どうやら日本人でもニッポン人らしい風体に見えた様です。
「シーー、セニョル~!」で答えると、「にっこり」ですーー。
しばらくスペイン語で話していたら、英語が沢山混じっている
そうです、私は気がつかないのですが、おかしなスペイン語だと
言っていました。
でも話が通じましたので、時間潰しにはなりました。

おじいちゃんは熊本県人で、お父さんはニッポン語は少し話すそうで
私は「ちょっぴりーー」と言っていました。
世界も広くなったものです、でも一番今まで驚いたのは、ブラジル
で会った子供でした。

現地ブラジル人そっくりで、褐色の肌とスラリとした肢体でした。
いきなり「お前~、どこから来たんだべ~!」 との日本語でした。
「だべ~!」と言うのは茨城弁です、私の友人が話していたので
「ぎょ~!」でした。

その時私は標準語で話していました、すると子供は
「お前はー、日本人け~!」 と言う事で、もっと驚きました。
「お前のニッポン語はおかしいーー」 これも参りました。
その時父親が出て来て、「この子はブラジルでとれたから、少し
色も付いているよーー、」 と話してくれました。

その時母親が出て来て、紹介してくれましたが、黒人と白人の混血
で綺麗な方でした。

「近所が茨城県出身で、入植したのが同県人でしたのでこの子供まで
茨城弁しか話さないのです――」 「でも日本語学校も行っているの
で少しは日本語を維持しています」 たいしたものです。

御国訛りの言葉で、話を聞くのも日本を思い出して懐かしいものです。
私も正確な日本語を話しているつもりですが、
日本に行って買い物などで「え~!」と聞きなおされるのは、
ショックですーー、それだけ「ボケ」たのかも知れません、
しらない間に英語で話していた様です。

お恥ずかし・・、歳は取りたくないものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム