2011年7月29日金曜日

私の還暦過去帳(21)

アメリカは移民の国、また近年は難民の移住も凄いので、
多民族国家の名にふさわしい感じです。

私がこの重国籍問題を感じたのは、40年もの前に
農業技術者として移民船で南米に行くとき、日本に里帰りし
ていた、ブラジル移民の一番始めの、笠戸丸の移民者と乗り
合わせた事です、その当時かなりの高齢で

中には身体の不自由な人も居ましたが、長い船旅の間に、
色々な話しを聞く事が出来ました。

でも、一番思い出に残っているのは、横浜を出航してかなりの
時間が経つてから、夕方近くになり、黒潮のうねりも出てきて、
夕暮れの波間に犬吠岬の灯台の輝きが、波間に見え隠れして
いた時、夫婦が甲板で両手を合わして、

「これで日本も見納めだ!--両親の墓参りもした、
兄弟、親戚にも会った、美味しい物も沢山食べた。
これで何も思い残す事はない、安心して子供の居る、
ブラジルの土になれるーー、」と話して

居たのを聞いて、ジーンと来て目頭が熱くなったのを覚えています、
長いブラジル生活でも日本国籍は持たれて、二重国籍など、
日本人として恥ずかしいと話していました。
子供は全部日本大使館で、出生届を出していると話していまし
たので、子供達には、そうなるかも知れないと話していました。

昔の古い移住地を訪ねて、家の中に入ると、天皇陛下の写真と
日本の日の丸の旗が飾って有り、日本に住んで居る人以上に、
日本人の心を持った方々に沢山お会いしました。

そろそろ、46年近く経ちますので、皆さんがブラジルの土にな
られたと思います、国を思う時、異国で日本の郷愁に家族を思い
浮かべる時、今では簡単に電話で話す事も出来ますが、
昔の時代ではそれも出来ず、老齢になり、移住して初めて里帰
りする思いは如何な気持かーー、

現在の私達の便利な世の中での思いとは、比べられないほど、
感激の多い旅ではなかったかと、今でも思っています。アメリカ、
カナダそのほかブラジル、アルゼンチン、ペルーなど沢山の日本人
の先駆者達の努力の上、現在海外の日本人の基礎が有る事を
感謝して、今日のお話を終ります。

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