私の還暦過去帳(18)
人は様々な生き方の人生を歩み、走り、疾走して終着点まで到着します。 早い人、遅い人それぞれです。私が会った方で、探検家として冒険家 として有名な植村直己氏です。私が彼を知ったのは1962年ぐらいの頃 と思います。大学に居た当時、明大の山岳部には凄いタフな男がいる と聞いた事があります。その人が植村氏でした。 彼は1964年明大を卒業して、5月にアメリカに旅立つたが、私は8月 に南米のパラグワイに単身移住をして、横浜を出航して行きました。 そのあとは彼の消息を知ったのは、アルゼンチンのブエノス、アイレス で丁度、彼が南米最高峰アコンカグワに単独登頂して戻って来た頃で 仲間の友人と安宿に滞在していました。彼はアマゾン河の筏降りを 計画していた頃と思います、彼は冒険家として常日頃、ニユースで 消息が載っていましたが、私は彼が冒険家としての職業を選ぶとすれば いつの日か彼は危険な局面に出会い、命の危険もあると感じていました。 彼は単独登頂と言う登山、人が試みない冒険など、話題が絶えない 人でした。私は土に情熱を掛けて人生の道行きを試して居た頃で、 南米のジャングルでの開拓に人生の面白さを見出して、熱中していた 頃でした。それぞれ人は一つの物語を残すと言いますが私は平凡な 百姓の農業の道でした。一度日本に帰国して1976年にアメリカ のカリフォルニアに家族を連れて移住して来て、3人の子供達と 平凡な家庭生活を楽しく営み、子育てに親の生き甲斐も見出していた 頃でしたが、確か1984年頃で、アラスカのマッキンレー冬季登山 をして、登頂に成功して下山途中に行方不明となり、帰らぬ人となり ましたが、そのニユースを聞いた時は悲しくなり、同じ歳の人間として その冥福を祈っていました。私は彼の生き方が何か、つきものに取りつ かれた様に人生を走り抜けて行った人だと、今でも感じます。 人はそれぞれで、人生は一度しか有りません、しかしその命短い人生 をどの様に使うか、その人の人生ですーー!貴方はどの様に計画して 実行していきますかーー!、一つだけの貴方の人生です。 植村直己氏は確か43歳でアラスカの冬山に消えて行かれました。
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