2011年7月23日土曜日

私の還暦過去帳(18)

人は様々な生き方の人生を歩み、走り、疾走して終着点まで到着します。
早い人、遅い人それぞれです。私が会った方で、探検家として冒険家
として有名な植村直己氏です。私が彼を知ったのは1962年ぐらいの頃
と思います。大学に居た当時、明大の山岳部には凄いタフな男がいる
と聞いた事があります。その人が植村氏でした。
 
彼は1964年明大を卒業して、5月にアメリカに旅立つたが、私は8月
に南米のパラグワイに単身移住をして、横浜を出航して行きました。
そのあとは彼の消息を知ったのは、アルゼンチンのブエノス、アイレス
で丁度、彼が南米最高峰アコンカグワに単独登頂して戻って来た頃で
仲間の友人と安宿に滞在していました。彼はアマゾン河の筏降りを
 
計画していた頃と思います、彼は冒険家として常日頃、ニユースで
消息が載っていましたが、私は彼が冒険家としての職業を選ぶとすれば
いつの日か彼は危険な局面に出会い、命の危険もあると感じていました。
彼は単独登頂と言う登山、人が試みない冒険など、話題が絶えない
人でした。私は土に情熱を掛けて人生の道行きを試して居た頃で、
 
南米のジャングルでの開拓に人生の面白さを見出して、熱中していた
頃でした。それぞれ人は一つの物語を残すと言いますが私は平凡な
百姓の農業の道でした。一度日本に帰国して1976年にアメリカ
のカリフォルニアに家族を連れて移住して来て、3人の子供達と
平凡な家庭生活を楽しく営み、子育てに親の生き甲斐も見出していた
 
頃でしたが、確か1984年頃で、アラスカのマッキンレー冬季登山
をして、登頂に成功して下山途中に行方不明となり、帰らぬ人となり
ましたが、そのニユースを聞いた時は悲しくなり、同じ歳の人間として
その冥福を祈っていました。私は彼の生き方が何か、つきものに取りつ
かれた様に人生を走り抜けて行った人だと、今でも感じます。
 
人はそれぞれで、人生は一度しか有りません、しかしその命短い人生
をどの様に使うか、その人の人生ですーー!貴方はどの様に計画して
実行していきますかーー!、一つだけの貴方の人生です。
植村直己氏は確か43歳でアラスカの冬山に消えて行かれました。

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