私の還暦過去帳(10)
今日のお話は最近亡くなられたビルさんと言う方のお話です。
彼はアメリカ海兵隊員として、硫黄島の戦闘に参加された方です。
彼から硫黄島の激戦の話を直接聞きました。
彼は硫黄島でも一番の激戦であった、すり鉢山のふもとの海岸に第一
波の強襲部隊として参加したそうです。上陸舟艇で海岸の砂浜に接岸
すると、直ぐに激しい射撃がすり鉢山から有ったそうです。砂浜に伏
せたとたん、「ガツーン」と激しい衝撃を鉄兜に受けて、そのまま失
神してしまったそうですが幸いに弾は貫通せずに「べこり~!」とひ
しゃげて砂浜にのびてしまったそうです。幸いに直ぐ側に看護兵が居
たので、そのまま引きずられて、乗ってきた上陸舟艇で沖合いの病院
船に連れて行かれましたが、幸いにコブが出来ただけで、命には別状
無いとの事ですぐに、第一波が苦戦との事で、第二波の攻撃部隊に参
加して、自分の部隊に戻ったそうです。その時は橋頭堡を築き、部隊
は100mぐらい内陸部に入った、砂丘の下に隠れていたそうです。
彼はブロウニング自動ライフルの射手として、味方の歩兵の援護射撃
をしていた様ですが、弾倉を撃ち終わって砂丘の淵から弾倉を入れ替
えて立ち上がったとたん、腹部を撃ち抜かれて砂丘の下に転げ落ちて
のびていたそうです。そこでも彼に幸運の女神が微笑んで、なんと~!
そこには看護兵が激しい銃弾を避けて、負傷者を看護していたそうで、
直ぐに上陸舟艇に担ぎ込まれて、手当てを受けながら病院船に運ばれ
て腹部の切開手術を受けて腹部重傷ながら命を取りとめて、本国に送
還されたそうです。
彼が話してくれましたが、上陸したアメリカ海兵師団第4、第5、師
団は戦闘消耗率が75%に達したと言っていました。
サイパンではわずか20%の消耗率で有ったことを考えるといかに激
しい戦いであったか分ります。彼は勇敢に戦って玉砕した日本兵に敬
意を払い、祈っていました。
戦闘開始時に日本軍、2万1千の守備隊で、7万5千の上陸部隊を迎
え撃ち、2万5851名の死傷者を与えて戦闘は終りました。
彼は戦後日本にビジネスマンとして行き、長い間仕事をして、最初の
奥さんを病気で亡くすと、日本人の女性と再婚して、亡くなるまで
カリフォルニアで仲良く暮していました。
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