私の還暦過去帳(9)
かれこれ46年も前になります。
私がアルゼンチンのブエノス.アイレスから170キロほど内陸部に
入った町で、野菜栽培を始めていた頃でした。その頃チビリコイと言
う町は廻りは牧場と大規模なトウモロコシや大豆、小麦などの畑が
連なり、パンパの広大で、肥沃な穀倉地帯を見る事が出来ました。
その町に戦前から、沖縄県出身の上原氏が、ご夫妻で洗濯屋を開いて
いましたが、良く町に出た時に立ち寄り、お茶を御馳走になり、話を
聞いていました。戦前の1935年ぐらいの時代に、ブエノスから
若い青年がこの田舎町に流れて来て、カフェーのボーイをしていたそ
うです、時々訪ねて来て話もしていたと聞きましたが、ある日、その
店のオーナーが朝早く訪ねて来て、日本人の若者が店に出てこないので
言葉の解かる貴方に、一緒に来て見てもらいたいと、頼んで来たので、
下宿を訪ねてドアを叩いても返事がなく、その家の大家に頼んでドア
のカギを開けてもらい、中に入ると、ベッドの中で眠る様に亡くなって
いたと話していました。誰にも見取られる事もなく寂しい生涯だった
様です。どこから流れて来たかも、詳しくは知らなかったと話していま
したが、日本人会で義援金を出し合って埋葬して、旅券はブエノスの
大使館に届けたそうです、埋葬は隣り町に日本人会長が居たので、その
町の墓地の一角に小さな墓が造られたと言う事でした。
今の世の中からすると、日本人の往来も極端に少ない時代、まだ交通
手段が船の時代です、私が歩いていた狭い範囲でもその様な話しを
聞く事が有りました。しかし1650年代にスペイン人の従者として
どこかアジアの港町からアルゼンチンに連れてこられて来て、
ラプラタ河をさかのぼり、内陸部に入ったロサリオの町の教会で洗礼
を受けた2名の日本人の若者がいたと言う事が、洗礼の記録に残って
いると聞いた事が有ります。歴史に埋もれた話しと思います。
その頃、遠い昔の時代に勇気ある青年がいたと感じます、金で買われ
てきた身かもしれませんが、今では確かめる術も有りません、上原氏
もすでに亡くなられて、遠いアルゼンチンの土に眠っています。
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