2011年7月13日水曜日

私の還暦過去帳(9)

かれこれ46年も前になります。
私がアルゼンチンのブエノス.アイレスから170キロほど内陸部に
入った町で、野菜栽培を始めていた頃でした。その頃チビリコイと言
う町は廻りは牧場と大規模なトウモロコシや大豆、小麦などの畑が
連なり、パンパの広大で、肥沃な穀倉地帯を見る事が出来ました。

その町に戦前から、沖縄県出身の上原氏が、ご夫妻で洗濯屋を開いて
いましたが、良く町に出た時に立ち寄り、お茶を御馳走になり、話を
聞いていました。戦前の1935年ぐらいの時代に、ブエノスから
若い青年がこの田舎町に流れて来て、カフェーのボーイをしていたそ
うです、時々訪ねて来て話もしていたと聞きましたが、ある日、その

店のオーナーが朝早く訪ねて来て、日本人の若者が店に出てこないので
言葉の解かる貴方に、一緒に来て見てもらいたいと、頼んで来たので、
下宿を訪ねてドアを叩いても返事がなく、その家の大家に頼んでドア
のカギを開けてもらい、中に入ると、ベッドの中で眠る様に亡くなって
いたと話していました。誰にも見取られる事もなく寂しい生涯だった

様です。どこから流れて来たかも、詳しくは知らなかったと話していま
したが、日本人会で義援金を出し合って埋葬して、旅券はブエノスの
大使館に届けたそうです、埋葬は隣り町に日本人会長が居たので、その
町の墓地の一角に小さな墓が造られたと言う事でした。
今の世の中からすると、日本人の往来も極端に少ない時代、まだ交通

手段が船の時代です、私が歩いていた狭い範囲でもその様な話しを
聞く事が有りました。しかし1650年代にスペイン人の従者として
どこかアジアの港町からアルゼンチンに連れてこられて来て、
ラプラタ河をさかのぼり、内陸部に入ったロサリオの町の教会で洗礼
を受けた2名の日本人の若者がいたと言う事が、洗礼の記録に残って

いると聞いた事が有ります。歴史に埋もれた話しと思います。
その頃、遠い昔の時代に勇気ある青年がいたと感じます、金で買われ
てきた身かもしれませんが、今では確かめる術も有りません、上原氏
もすでに亡くなられて、遠いアルゼンチンの土に眠っています。

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