2011年6月29日水曜日

私の還暦過去帳(2)

死と言う事は人生の終末です、

私も時々、眠りに就いて「ス――ッ」と引きこまれる様に記憶が
なくなる直前にふとーー思うことが有ります、それは、
「明日の朝、目が覚めないのではないかーー、」と言う思いが
頭をよぎる時が有ります。
「死とは永遠の眠り―」私はそう思います。
物理的に眠りに就く、機械的な力での眠りに就く、自然の生理的
な現象での睡眠、言葉が違えども眠りの夢の世界に就く事は
一部は同じ事と思います。

20年以上も前です、昔住んで居ました家の近くで、有る人が
自分で命を絶ってあの世とやらに旅だって行きました。
夕方、少し薄暗くなって、夏の日長の夏時間を楽しんでいました。
すると突然「パンー!」と銃声がして、私はとっさに銃声と
感じましたが、ライフルの様でした。
家族には黙って外に出て見ましたが、誰も外には人は居ません
でした。

アメリカでは隣家の間が広いので、関心がないのか静かで、
私も直ぐに家に入ってしまいましたが、しばらくして。
外が騒々しくなり、ポリスが沢山来ていました。
3軒ほど先の道路を隔てた家でしたが、しばらく借家になって
中年の女性が一人で住んで居ました。

ポリスに聞くと、「引き金を引く前に、家族に別れの電話を
したので、家族からの連絡で、来て見たら全てが終っていた。」
と話してくれました。

彼女は庭の外で、小屋によりかかる様にして、ライフルで
口から頭を撃ち抜いて死んでいました。

「寂しいーー」と近所にタバコを貰いに来て話していました。
生活保護者はフードスタンプでは酒、タバコは買えないからです
離婚して、仕事も無くして、一人生活保護での生活では心寂し
くて自分で自分の命を、もてあましてしまったと思います。

私が40年前、農業をしていたアルゼンチンの奥地、サルタ州
の僻地では、その頃まだたくさんの貧しいインジオが出稼ぎに
来て農場で仕事をしていました。しかし貧しいながら自殺などは
聞いた事は有りませんでした。

しかし文明社会では沢山の人が死を自分で選んで、自分で解決
しています、昔ジャングルでのインジオ達は、見事と言うほど
何も持っていません、自殺する様な話も聞いた覚えも有りま
せん、一度晴れた日にインジオの労働者が6人ほど、河岸で

毛布を被っています、側では洗濯物が石の上に乾して有ります。
着たきり、スズメですので、乾くまで毛布を被って待っている
のでした、見事と言うほど何も持っていません。

金など有ってもお店が有りませんので、買う事が出来ません、
どうするかと言うと、カゴを持って、近所を一軒ずつ廻って
食べ物を貰って廻ります、皆は有る物を少しずつあげます。
玉ねぎ、ジャガイモ、トマト、マンジョーカー芋、魚の干物、
乾し肉など、見て居ても直ぐにカゴが一杯になります。

完全な原始共済の世界です、生きると言う事が連帯の世界で
成り立っているからです。彼等は死と言う事は、自分の寿命が
終る事です。
      貧しさが必ず不幸とは思っていません。
      貧困が必ず、不幸となる事も思っていません。

最低は食べる事は出来ます、現金が必要になると、仕事を
して、必要なお金を稼ぎます。文明社会は心の連帯を破壊して
個人主義になり、金が無いと葬式も出せない社会にしてしまい
ました。

死と言う観点から見ると、文明社会が幸せなのかーー、
原始社会が不幸なのかーー、物質文明が幸せなのかーー、
はたしてどちらが正しいのかーー、皆様はどう感じますかーー、

私は新婚旅行に着ていった背広一枚、紳士靴1足で、未だに
それを着られる体系で、体重も同じです、お笑い下さいーー、
それで生きて居ます、何も恥ずかしいと思った事も有りません
43年も過ぎて、それで生きて来ました。

そんなジジイの人生ですーー、

いまも昔、引き売りして歩いた「トマト売り」をスペイン語で
上手に出来ますーー、
いまも毎日作業着で、太陽の下で働けることを感謝しています。
それと元気で丈夫な身体に、育ててくれた母親にいっも感謝して
居ます。
そんなジジイですーー、あはは~!

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