2011年7月19日火曜日

私の還暦過去帳(16)

 自殺志願の16歳の女性に送ったインターネットのメール。

 貴方のメールを読んで思い出したことを書いて見ます。
 1966年、アフリカのモザンビークで会った子です。
 その頃はモザンビークは内戦でポルトガル軍とゲリラが激しく戦って
 いた頃です。
 港で子供を連れて、物乞いして、片手では桟橋から釣りをして魚を釣
 っていました。
 歳は16歳で家族は全部殺されて、一人逃れて来たと話して居ました。
 途中逃げる為と、命を守る為に何度もレイプされて命と食べ物はかろ
 うじて繋がったと話していましたが、子供が出来てその誰とも分から
 ない子供を必死で育て、生きていました。

 朝は4時には青空市場で野菜くずを拾い、それから港で魚を釣りなが
 ら、物乞いしていました。
 外国船の船員が沢山お金を恵んでくれるからと話していましたが、そ
 のたくましい生活力、忍耐、生き様とする執念、とても16歳とは思
 えませんでした。

 母乳がたらなくて、粉ミルクを買う金が無いと、なくなったカラの缶
 を見せて、私にお金をくれる様に頼みましたので、お金をあげると、
 子供と釣り糸を預けて直ぐに飛んで買いに行き、粉ミルクを水で溶か
 して飲ませていました。

 一日一日が生きる、食べる、子供に食べさせる事で、死にもの狂いで
 生きている子供でした。
 しかし、その笑顔と、子供に注ぐ愛情は涙が出るものでした。
 彼女はその赤ちゃんを神様の贈り物と言って、キスして、私に見せて
 くれました。

 その子は夕方僅かな魚を持って、これから1時間は歩いて難民キャン
 プに帰ると話していました。
 一日二度しか食事は出来ないと話していましたが、それでも死にもの
 狂いで生きている、そして子供をそだてて居る16歳の女の子が居た
 事を知って下さい。

 貴方が死にたいならば、生きたいと願って毎日臓器移植を待っている
 人の為に、間違いなく移植カードにサインしてからにしてください。
 宜しくお願しておきます。それで沢山の人の命が助かるならば、それ
 も世の為です。
 無駄にはなりませんーーー。


追伸。
 この女性はその後ーー、この16歳の女の子は腕を自傷して、死ぬよ
 ーー、死ぬよーー、と廻りの注目を集めて居た様ですが、その子は私
 が投稿した原稿に、「これに賛成するやつは全部落ちてしまえ~!」
 と書いて、そのあと、ごつそり読者を無くして居た様です。その後し
 ばらくして、チャットの中で偶然遊んでいるその子がいて、何か「け
 ろり~!」で,ぎゃ~!と騒いでいるのを聞いてー-、あははでした。

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