私の還暦過去帳(28)
46年前に南米で農業をしていた頃でした。
暑い日々でした、11時には仕事を切り上げて昼休みに入り、食事の
あと2時過ぎまで、昼寝をしていました。
家は土蔵作りの日干しレンガの建物で、屋根は椰子の木を半分に
割った物を竹の様に真中を削り、交互のかぶせて屋根にしていました。
40年もの昔で、田舎のジャングルの百姓家です、自家発電の設備も
有りません、飲み水は屋根を利用して天水(雨水)を飲料水として
いました、それは塩分が多いので井戸を掘っても飲み水としては
使用出来ませんでした。
乾季になりますと、雨が降りません馬鹿でかいタンクでしたが
しばらくすると無くなります、すると毎日朝早く、ドラム缶を二本
トラックターの後ろに乗せて、河のかなり深いところまで乗り入れ
てそれに汲んで来ます、それを濾過器に入れて、下から出てきた
水を汲み、薬缶で煮沸して飲んでいました。
大変な時間と、労力が要ります、河の上流で雨が降り、ボリビアの
鉱山から排出される危険な物質が混じった水が流れて来る時が
有りました。
その時は直ぐ分かりましたので水は汲めません、1時間も離れた
町まで水を汲みに行きます、水は貴重ですーー、
畑に灌漑する水は溜め池に貯水してありますので、余り心配は
有りませんしかし、人間が飲む水は苦労しました。
インジオは溜め池の水を濾過して飲んでいた様です、
でも塩分が有りまして、長く飲む事は出来ません、彼らは水を得る
事は良く知っていました。
狩猟に行って、喉が乾くとツタのつるを切って、そこから滴り
落ちる水分を飲みますが、少しですが喉を潤す事が出来ます。
雨季の時河床であった場所では、そこの湿った砂土を掘り、かなり
深く掘っておきます、しばらくすると滲んだ水が底の下に溜まり
それを汲み上げて使います、2~3人が飲める水が採取で来ます。
使用したお皿などは水は使いません、焚き火の灰で汚れを取り、
後は綺麗に紙でふいておきます、鍋の底に少し水を入れて、
その中に使用した食器を入れて、火にかけて煮沸して消毒します、
蓋をして、蒸して少しの水で消毒します。
全て水は貴重でした、雨が降り始めると、屋根から滴り落ちる雨水
が嬉しくて全てタンクに溜めていました。
夏になり家の中が涼しくなります、窓を閉めて、土間に打ち水を
して、外からの外気が家に入らないようにして、じっと家の中で
休んでいました。
その様な場所で生活している人が現在も沢山います。
世界の半分近くの20億と言われる人々が良い飲料水を飲めずに
苦しんでいます、 特にアフリカです、!
モザンビークで見た水運びの若い女、子供達はそれが仕事でした。
頭に水がめを載せて、裸足で暑い日の下を、じっとこらえて歩いて
いました。
たかが水ーー、されど万金に値する水ーー、
熱帯では一日、10リッタの水が無いと生きられません、
直ぐに脱水症状で死んでしまいます。
人間の65%は水分ですーー、
活きる基本はまず水ですーー、
今日も一日、美味しい水が口にできました事を、感謝いたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム