2011年8月8日月曜日

私の還暦過去帳(28)

46年前に南米で農業をしていた頃でした。
暑い日々でした、11時には仕事を切り上げて昼休みに入り、食事の
あと2時過ぎまで、昼寝をしていました。

家は土蔵作りの日干しレンガの建物で、屋根は椰子の木を半分に
割った物を竹の様に真中を削り、交互のかぶせて屋根にしていました。
40年もの昔で、田舎のジャングルの百姓家です、自家発電の設備も
有りません、飲み水は屋根を利用して天水(雨水)を飲料水として
いました、それは塩分が多いので井戸を掘っても飲み水としては
使用出来ませんでした。

乾季になりますと、雨が降りません馬鹿でかいタンクでしたが
しばらくすると無くなります、すると毎日朝早く、ドラム缶を二本
トラックターの後ろに乗せて、河のかなり深いところまで乗り入れ
てそれに汲んで来ます、それを濾過器に入れて、下から出てきた
水を汲み、薬缶で煮沸して飲んでいました。

大変な時間と、労力が要ります、河の上流で雨が降り、ボリビアの
鉱山から排出される危険な物質が混じった水が流れて来る時が
有りました。

その時は直ぐ分かりましたので水は汲めません、1時間も離れた
町まで水を汲みに行きます、水は貴重ですーー、
畑に灌漑する水は溜め池に貯水してありますので、余り心配は
有りませんしかし、人間が飲む水は苦労しました。

インジオは溜め池の水を濾過して飲んでいた様です、
でも塩分が有りまして、長く飲む事は出来ません、彼らは水を得る
事は良く知っていました。

狩猟に行って、喉が乾くとツタのつるを切って、そこから滴り
落ちる水分を飲みますが、少しですが喉を潤す事が出来ます。
雨季の時河床であった場所では、そこの湿った砂土を掘り、かなり
深く掘っておきます、しばらくすると滲んだ水が底の下に溜まり
それを汲み上げて使います、2~3人が飲める水が採取で来ます。

使用したお皿などは水は使いません、焚き火の灰で汚れを取り、
後は綺麗に紙でふいておきます、鍋の底に少し水を入れて、
その中に使用した食器を入れて、火にかけて煮沸して消毒します、
蓋をして、蒸して少しの水で消毒します。

全て水は貴重でした、雨が降り始めると、屋根から滴り落ちる雨水
が嬉しくて全てタンクに溜めていました。

夏になり家の中が涼しくなります、窓を閉めて、土間に打ち水を
して、外からの外気が家に入らないようにして、じっと家の中で
休んでいました。

その様な場所で生活している人が現在も沢山います。
世界の半分近くの20億と言われる人々が良い飲料水を飲めずに
苦しんでいます、   特にアフリカです、!

モザンビークで見た水運びの若い女、子供達はそれが仕事でした。
頭に水がめを載せて、裸足で暑い日の下を、じっとこらえて歩いて
いました。

たかが水ーー、されど万金に値する水ーー、

熱帯では一日、10リッタの水が無いと生きられません、
直ぐに脱水症状で死んでしまいます。

人間の65%は水分ですーー、
活きる基本はまず水ですーー、

今日も一日、美味しい水が口にできました事を、感謝いたします。

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