2011年8月23日火曜日

私の還暦過去帳(35)

私には昔のバレンタインデーの思い出が有ります。46年ほど前ですが
アルゼンチンのボリビア国境近くで野菜栽培の農場支配人をしていた時
です。そこは南回帰線から100Kmぐらい入った所でした。
2月は真夏で野菜栽培は出来ずに、その時期は果樹の手入れやバナナの
収穫をしていました。

余り暑過ぎて野菜は枯れてしまいます。覆いをして、日陰を作ら無いと
夏野菜は出来ませんでしたので、時期としては暇な時で、しかしその頃、
ボリビアに居たカストロ派のゲリラがアルゼンチン側にも進入して来て
いましたので、国境警備兵が巡回して来ていました。

ゲリラは朝早く一度しか炊飯しませんので、それを探してセスナ機が探
索に飛んで来ていましたが、その無線連絡で探しに来ている兵士が朝露
でびっしょりと濡れて、よく農場に馬で来ていました。

「何か暖かい食べ物を下さい」と若い兵士が殆で、此方もなれたもので
干し肉とジャガイモのトマトソースでの煮込みが出来るまで、ワインで
も開けて飲ませていました。

彼らは持ってきた小銃は、開け放したドアの前に、3つに組んで立て決
して家の中には入れません。全部実包が装填されていて、それと指揮官
の持っている自動小銃はドアに立掛けていました。

暖かい湯気が立っている煮込みの皿がテーブルに並ぶと、パンも配られ
兵士達は短くお祈りすると、一斉に食べ始めます。外では開け放された
ドアの前に犬達が座りジット、兵士達の食べる姿を見ていました。

捜索中は缶詰か、簡単な携帯口糧での食事で、彼等はいっも農場に来る
と、出される食事を美味そうに食べていました。
その代わり彼等も検問所などでは、我々のトラックなどは検査無しで通
過させてくれ、色々な便宜をしてくれました。

お互いに友達同士になり、休みの時は魚釣りや、町で一緒に飲む事も有
りまして、辺ぴな場所での農場の安全を守ってくれました。

私は彼らが来た日がバレンタインデーとは知りませんでした。
食事が終り、コーヒーを出すと馬の皮袋からお菓子の袋を指揮官が持っ
て来て、「今日はバレンタインデーだから」と言ってテーブルの上に置
き、「食べて下さい」と進めてくれました。

食事が済んだばかりでしたので、チョコレートを一つ貰い、ポケットに
入れておきましたが、兵士達が帰った後に僅かに残っている農閑期の作
業員の内に家族連れの出稼ぎ農夫が居ました。

その作業員の子供が泣きながら父親と歩いていましたので、ぐずって居
る子供に、チョコレートをあげると、ピッタリと泣き止み直ぐに笑顔と
なって、「どうもー、有り難うーー。」と言ってめったには買って貰え
ないお菓子のチョコを大事そうに抱えて、ぼこぼこと乾き切った道を、
走って家に帰って行きました。

その笑顔を思い出すと、またバレンタインデーを思い出します。
おやつなどはマンジョーカの芋をから揚げして、砂糖をまぶした物ぐら
いでしたので、余ほど嬉しかったのと思います。

今でも思い出す笑顔です。
私のささやかな思いでと成っています。

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