2011年10月29日土曜日

私の還暦過去帳(81)

私が子供の頃でした、確か小学生で三年生ぐらいの歳だったと思い
ます。その頃はまだ終戦後まだ混乱があり、木炭車など言う車が走
っていました。バラックのマーケットが有りまして、その頃私が住
んで居ました、九州の大牟田は炭坑景気でかなりの人が仕事を探し
て移り住み、賑やかな町でした。

戦後まだTVも無い様な時代、各町内ではガキ大将が居て近所の子
供達をまとめて、町内会も、色々な行事も楽しく過ごした思い出が
あります、それだけ子供達も人間関係が緻密だったと感じます、
当時はまだ戦地に出征して、帰ってこない人が沢山いました。

私の友人の父親も南方戦線で出征して、連合軍に戦犯として抑留さ
れていました。学校ではその子は親が居ないので給食から、学用品
まで援助が有り、いっも早く日本に帰って来ることを話していて、

祈って、父親が戻ればこんな生活はしなくてはよいのだがと嘆いて
いました。たしか春休みの時期で、皆で近くの学校で町内対抗の野
球大会をする予定だったと思います、皆でぞろぞろと歩いて行くと
きに、向こうから兵隊服を着たおじさんがリュックを背負って腰
水筒をぶら下げて歩いて来ました。その人は立ち止まって子供達を

見ていましたが、私の友達の敏夫君を見て『大きくなったなー!』
と声を掛けて来ました。友達は覚えが無いのか、もじもじしてその人
を見ていましたが、子供達の大将をしていた中学生が、『中村のお

じさん~!』と声を掛け、『うわ~!中村のおじさんが帰って来た
ーー!』と大声で叫びました。『香代ちゃんのお父さんが帰って来
た--!それ-!知らせろ!』と自転車に乗って来ている自転車屋
の息子の信ちゃんが、自転車競争で走る様に体を曲げて

ペダルをこいで知らせに走りました。子供達のガキ大将はそのまま
『今日の試合は中止だよーー!それ~!町内会長のおじさんに知ら
せて来なくてはーー!』と言って飛び出して行きました。
我々子供達は周りを取り囲み、『駅から歩いて来たのーー?』など

口々に聞いていました。歩きながら色々な事を聞いていました。
そこに横丁から町内会長の奥さんが手に日の丸の小旗を持って来る
と、深く頭を下げて、『今日は夫が仕事であいにく不在ですから後で
お祝いに伺いますーー』と言うと、子供達と並んでその人を前にして

『長いお勤めご苦労様でした、無事の御帰還をお祝い致します』と声
を掛けて日の丸の小旗を掲げてバンザイを叫びました。
私は子供心に何か『ジーン!』と来るものが有りました。その方も目
頭を押えて何度も頭を下げていました。

その時です、向こうから香代ちゃんがお母さんと走ってくるのが見え、
一斉にどよめきが起きて、父親の中村氏も確かに『ワー~!』と声を
出して子供に駆けより声を出して泣いている感じでした。友達の中で
父親が南方戦線で戦死して居た子は、声を出して泣いていました。

私は子供心に戦争が子供の心にも大きな影響を残していると感じまし
た。そろそろ60年も前に戦争が終りまして、時代の流れはその当時の
物語を何か昔話と感じる様になりましたが、少しでも今の平和な現在
の日本に住んで、心に感じてくださればと思っています。

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