私の還暦過去帳(787)
光陰矢のごとし・・、
高齢期シニアになり、月日が経つのが早く感じられ、過去の忘却の事
柄にふとー!思い出す事が在ります。
アメリカに家族で移住して来て、家族より早くアメリカに来て、住む
家や用意をしていたのですが、それも用意出来てワイフと子供3人を
サンフランススコ国際飛行場に迎えに行き、JALのファミリーサービス
の係りに付き添われて、出口から出て来た家族を昨日の様に思い出し
ます。
最初にオムツをしていた次男が、私を見つけると、『パアーパー!』と
声を出して、私に駆け寄る姿を今でも思い出します。
次男も今では50歳になり、月日の経つのが早いと、しみじみ感じます。
最初に購入した持ち家は、東京の家を売り、その金で、こちらに来て、
1週間で頼んでいた不動産屋が、車を運転出来ないワイフに考慮して、
学校も台所の窓から校庭が見える近さで、買い物も歩いて直ぐに、店
や郵便局、スーパーもあり、古い家でしたが、高台にあり、展望が良
く、何より敷地が広く、私の好きな菜園も出来て、GIローンを引き継
げる住宅ローンも、全部不動産税金も入れ格安の125ドルとの支払い
でした。
これが後々まで、私の人生に、利益をもたらしてくれ、銀行も私が持家
を持って居るので、直ぐにクレジットカードも融資も出してくれました
のが、今の生活の基礎になったと感じます。
今まで健康に、淡々とワイフと共にアメリカ生活を過ごして来ましたが
一度、家族が育って大きな家に引っ越しましたが、3年前にここに戻っ
て来ましたのです、それまではレントハウスにしていました。
最初の近所の住人は200mと短い道ですが、最初からの住人も1軒に
なり、次は私達家族が古い家族になりました。
今では若い家族が沢山住んでいますが、日々、季節の過ぎ去るのは同じ
で、「年々再々花同じけれ、再々年々人同じからず。」と言う言葉を
今では、しみじみ感じます。
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