2023年6月3日土曜日

私の還暦過去帳(778)

 移住の昔話(2)

サンフランシスコ市の日本町に魚喜と言う日本食料品店
が在った昔ですが、私達はそこでサンフランシスコに行
って、日本食品を買い、日本食レストランで食事をして
帰ることが娯楽の一つでした。
その頃は日本町にサンフランシスコ日本領事館もあり、
入居するビルの建物に日章旗が掲揚されているのを見る
のが楽しみでありました。
いつも週末に出かけていましたが、その日はサンフラン
シスコ・ジャイアンツの野球試合が開催される日で、橋
が混むので日曜日でも早めに日本町に行き、側のコーヒ
ーショップでコーヒでも買って、魚喜が開店するのを
待っていました。
日本町の祭り広場ベンチに座り、ハト達が遊んでいる
光景を見ていたら、若い青年が同じくコーヒー片手に
ベンチに座りましたので、話しかけて、側に旅行用の
バックがあり、「これから旅行に行くのですか?」と聞
くと、アメリカの永住権を貰ったので、これから
コロラド州に引っ越すところだと話してくれました。
午後のグレイハンドのバスでコロラド州デンバーの町に
開店したばかりのレストランの寿司の板前として行くと
話してくれましたが、これからが自分の人生船出だと
言って居ました。
アメリカに来て言葉を覚えて、習慣も馴染み、苦労し
てレストランのヘルパーでスタートして、労働ビザか
らサポートして貰い、永住権も得て、人生の第二のス
タート地点だと言っていましたが、ここサンフランシ
スコは何でも高く店を開く事も、住むアパートも高く、
今の自分ではここは高嶺の花だと言っていましたが、
去年、バケーションで行ったコロラド州のデンバーが
気に入り、そこの日本食レストランが、是非と来てく
れと頼まれて、自分の郷里に似ている場所で、暖簾分
けも、2店舗を開く予定でそこの店を任せたいと言っ
てくれているので、自分を試す時は今しかないと考え
るので、決断したと話していました。
淡々と話す彼のことばを聞きながら、自分のたどった
人生の道筋を思い返していました。
彼が魚喜が開店の時間になったので、バスの中で食べ
る物や、少しお土産も買いたいと腰を上げましたので、
一緒に魚喜に店まで行き、買い物をしていましたが、
彼は買い物袋を下げて「それではグレイハンドのバス
停に行きますから、お元気で・・!」と歩道で別れま
たが、旅行バックを引いて歩き去る背中を見て、彼
の将来が輝かしい道筋であることを祈って居ました。
今では魚喜の店も無くなり、サンフランシスコ日本領
事館も大勢の日本人達の反対を聞くことも無く、サン
フランシスコのビジネス高層ビルの駐車も困難な場所
の、上階に移転して日本町に用事で来る人も少なくな
り、今では日本町はコリアンタウンと蔑称があります。

日本人の動きもシリコンバレーが発展してサンノゼ辺
りに日本も大きなスーパーが出来て時代も代わりま
した。

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