2022年9月3日土曜日

私の還暦過去帳(772)

 8月15日の77年目の終戦記念日も過ぎて、 

このことは60年近く前に、南米のアルゼンチン・サルタ州のエンバルカション市の郊外で大規模蔬菜栽培のトマトを主に栽培して、首都ブエノスに出荷していた農場支配人時代に、農場は電気、水道、テレビも無い時代でしたが、町でその頃は白黒テレビで、町の社交場のカフェー兼バー、レストランも併せて機能している所に寄ると、そこの主人が第2次大戦のドキュメンタリー記録映画で、『神風特別攻撃隊』の番組があると教えてくれ、見に行きました。当日、テレビの近くに陣取り、ビールでも飲みながら始まるのを待っていましたが、カードをする者、玉突きをプレーする者、雑談に夢中の者、食事をしている者、多様の現地人が居ましたが、テレビがドキュメンタリー記録映画を始めると、最初に度肝を抜く様な、特攻機の攻撃の連続で、5分程度画面が連続で轟音とアメリカ海軍の弾幕を潜り、雷撃機が海面すれすれに特攻して、突っ込む画面など、空母に特攻機が炎を引きながら飛行甲板に突撃する画面には、私もショックと、画面の壮絶さに身体が震えてショック状態でした。一連の特攻機の攻撃場面が過ぎて、周りを見渡すと、町の現地人たちが、テレビの周りに全員棒立ちで、シーン!と静まり返り、見ていました。神風特攻隊員が若い18歳や20歳の若者達であると説明して、彼等の遺書の一節をスペイン語で読んでいた時に、前に座って居た現地人が何人も涙を流して見ているのを知りました。祖国を憂い、家族や恋人を守ろうと志願して特攻で散った若者達の英霊が地球の裏側のボリビア国境に近い、辺鄙な街のアルゼンチン人の心と魂を揺さぶって居ると感じていました。私も老いて先も僅かになりましたが、この光景は心に刻まれて、生涯忘れる事が出来ません。その番組の後に、町の住民の日本人に対する印象と対応が違いました。今の日本の世へ、祖国日本に尊い命を捧げた英霊達に、私は声を大にして言い残しておきます。『特攻隊への畏怖と敬意は、地球の裏側でも、多くの人達が精神を貶める真似はしなかった。』

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