2017年11月6日月曜日

私の還暦過去帳(598)

 ある米国人の引退者生活


昔の私の不動産管理時代のお客でしたが、彼は戦時中は大型上陸舟艇
や戦時標準貨物船の船長でした。
戦後、世界で最初のコンテナー船のサンフランシスコからハワイま
での定期航路の船長でした。
彼はサンフランシスコに2軒、ロサンゼルスに1軒、シアトルに1軒、
ニユーヨークに1軒、ニユーオリンズに1軒、ボストンに1軒、風光
明媚なレイクタホに大きな別荘を持っていました。
彼は昔の船長時代に出航基地にしていた港に不動産を投資して住ん
でいました。
長い付き合いで、引退してからの不動産の管理と彼の生活を見て学び
ましたが、奥さんが弱って身体が不自由になると、直ぐに不動産を1
ずつ売り始めました。3名居た子供にも与えていました。
そしてアフリカや東南アジアをビジネスクラスの空の旅していました
が、奥さんが寝込むとロサンゼルスの最後に残った不動産を売却処理
して、身辺整理をして身の回りをかたずけてしまい、自宅は次男が側
に住んで夫婦の面倒を見ていたので、次男に譲渡をする様にして改修
工事をしていました。
そのてきぱきとした采配と行動は私も良い勉強になりました。
彼が私に教えてくれた事は、引退したら同じところに定住するより、
季節で3ヵ月や6ヶ月で移動して気候と住みやすい場所を移動したら
良いと話していました。
風光明媚なレイクタホに大きな別荘がありましたが、使うのは夏の
3カ月で冬は積雪があるので、滅多には行かないと話していましたが、
管理人に委託して別荘管理も、不動産税、保険、光熱費、管理費など
で、住まないのなら借りた方が安くなり、考え物だと話していました。
船長の長い間の仕事で、物事を計画して、テキパキとした采配や準備
は見事だと感じていました。
ハワイなどは良いホテルに1ヵ月ばかり居て、夏はカナダなどやア
ラスカに滞在していました。釣りが好きで良くアラスカの鮭を持って
帰っていました。
殆ど行くのは飛行機で5時間ばかりの距離でしたが、無理のない範囲
でした。奥さんが亡くなると、老人ホームに部屋を確保して、自宅改
修工事などに良く来ていました。次男と共同で自宅で料理したり、
親戚などが来たら泊まって遊んでいました。
彼も自宅の改修工事が終わり、次男に自宅を譲るとしばらくして倒れ、
直ぐに2度目の発作で亡くなりました。
私も彼のメモリアル・パーテイに招かれて行きましたが、居間に飾
ってあった写真を見ていると、彼の引退から最後までの淡々とした計
画的な行動が見事に写真に写されていると感じましたが、彼の理念の
様に季節でアラスカやカナダ、ハワイやメキシコと、それにフロリダ
などにも彼は訪ねていました。
私は彼が計画して実行した老後の有効な時間割を見て、心に感じる
何かがありました。
彼が『同じ人生でも、同じ時間を有効に使えば、それが2倍や3倍
に活用でき、有意義な人生を送る事が出来る』と言う話を私に与え
てくれた事には感謝しています。

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