2020年3月3日火曜日

私の還暦過去帳(608)

時は去り、日々幻の如く・・、
はや3月に入り、春の様子を見せる自然に、時間の経つのはこの世に
住んでいる皆が、避けて通れる様なものではありません。
どのように高貴な人でも、貧しい貧困にあえぐ人にも、平等に時間は
一瞬の誤差もなく与えられ、それを受け入れなくてはなりません。
しかし、同じ時間でも有効に使う人、無駄に時間を捨てている人、様々
です。

時は去り、過去に過ぎ行く時には思い出として脳裏に残る事もありま
すが、この世は忘却の彼方に消えて行く記憶も、今の科学のITの世界
では僅かな小指の先程のコンピユーター記憶装置に画像として残す事
が可能になり、昔の人達が、夢幻の過去に消え行く忘却の儚い思いと
感じけれ・・、とか物事を会得したような心を否定する様になりまし
たが、これが現世の常だと感じます。
今年でアメリカ生活も45年程になりましたが、日系一世と言われた
日本人も数える程に少なくなり、特に戦前にアメリカに移住した人々
は生きている人などは殆ど居なくなり、二世も僅かになりました。
2世の方々と良く、日系信用組合の理事会で懇意にさせて頂きました
が、その方々も引退して、老人ホームや中には亡くなられた方々も沢
山いますが、先日、知り合いのハワイ出身の三世の方が85歳ほどで
亡くなり、ハワイの移住者達の歴史が古い事を示しています。

一世達が戦前の排日移民法で、メキシコから密入国した話など、聞か
せて頂いた事がありますが、線路工夫で働き、貨車やテント生活の話も
興味あるものでした。今の日系社会の基盤を作った方々です。
モントレーの港近くの缶詰工場の跡地に残る粗末なバラック小屋の壁
に今でも残る、日本からの古びた掛け軸や壁掛けなどの竹細工を見る
と、ここで働いた日本人達の痕跡が今でも見る事が出来ます。
二世達が戦時日系強制収容所から欧州戦線に出征して、父母や家族に
別れを告げ、部隊に戻る時に列車の窓から遠くに強制収容所のバラック
の小屋を見た時に、感無量で泣いたと聞いた時には、私も涙が堪え切れ
なく泣いていました。
その二世達も殆ど亡くなり、その当時、私が一番若いと言われていた
日系信用組合の理事も、今では80歳近い年齢となり、数多くの今まで
聞いた物語を背負い、歴史に消えようとしています。




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